とある法務部員の備忘録

IT企業で法務をやっている独身アラサー。法務系のネタ、英語、雑記、ブログ運営などについて自由気ままに書き綴っています。

【CoinHiveマイニング】不正指令電磁的記録供用罪の成否をめぐる議論について

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 「CoinHive」の仮想通貨マイニングプログラムを自身のサイトに設置し、閲覧者のPCに指示を送り、閲覧者がこの事実に気づかないまま、強制的にCPUを使用してマイニングをさせた行為(以下、本記事において「本件行為」といいます。)につき、不正指令電磁的記録供用などの罪で摘発されたという直近の事件について、私が思うことをあれやこれやと書いてみます。

 

 なお、事件の詳細を知りたい方は、実際に摘発されたご経験を持つモロさんのブログが非常に参考になると思われます。

doocts.com

 

マイニングプログラムを用いる行為の違法性

 マイニングプログラムをめぐる一連の議論の一端を見ていますと、どうも私は立法の不備があったように思えてなりません。ますは、この点をツラツラと書いてみます。

 

① 「意図に反する動作」について

 刑法第168条の2によれば、「人が電子計算機を使用するに際してその意図に沿うべき動作をさせず、又はその意図に反する動作をさせるべき不正な指令を与える電磁的記録」を、「正当な理由がないのに、・・・人の電子計算機における実行の用に供した」場合に、不正指令電磁的記録供用罪が成立するとされています(同条第1項及び第2項)。

 本件行為はまさに、「意図に反する動作をさせるべき不正な指令を与える電磁的記録」を供用したという疑いを持たれているわけですが、そもそも「意図に反する動作」とは何ぞやと考えていくと、あまりにも広範且つ曖昧な概念のように思えてきます。

 

 法務省の見解によりますと、同罪の保護法益は「電子計算機のプログラムに対する社会一般の者の信頼」とされています。誤解のないように付け加えておきますと、これは個人的法益ではなく社会的法益です。

 同罪が、プログラムに対する信頼という社会的法益を保護するものだとすると、意図に反するものであるかどうかは、実際にマイニング行為をさせられたユーザーの個別的な主観ではなく、社会通念に従い、普通一般人の意図に反するか否かという観点から判断されることになると思われます。

 

 しかし、ネットユーザーの属性は様々であり、どのような場合に「意図に反する」といえるかは、一概に判断できません。今回のように、他人のパソコンのCPUを勝手に借用していたとしても、ユーザーによってはそれを事前に予測しているケースも考えられますし、まだ十分に認知されていないプログラムであるという点を考慮するにしても、アドセンス広告や行動ターゲティング広告はどうなんだって話ですし、人によっては、オーバーレイ広告やポップアップ広告の方が不快と感じることもあるでしょう。

 にもかかわらず、そのような広告手法を不正指令電磁的記録供用罪と断ずる意見や事例を聞いたことがありません。警察側は、ネット広告は閲覧者が表示を認識することができ、あるいは、表示に同意しないなら閲覧を中止することも可能であるという点において、両者は異なると言いますが、その理屈で言うならば、「世の中のいろいろなJSがアウト」というモロさんの指摘に対し、どのように反論するのでしょうか。

 

②「不正な指令」について

 仮に、「意図に反する動作」であったとしても、不正指令電磁的記録供用罪が成立するためには、それが「不正な指令」に基づくものであることが必要になります。立法当時、法制審議会においても次のように議論されています。

 

意図に反するものであっても,正当なものがあるのではないかというような御質問もあったかと思いますが,その観点からは,この要綱の案におきましては,対象とする電磁的記録を「不正な指令に係る電磁的記録」に限定しておりまして,例えば,アプリケーション・プログラムの作成会社が修正プログラムをユーザーの意図に基づかないでユーザーのコンピュータにインストールするような場合,これは,形式的には「意図に反する動作をさせる指令」に当たることがあっても,そういう社会的に許容されるような動作をするプログラムにつきましては,不正な指令に当たらないということで,構成要件的に該当しないと考えております。

法制審議会刑事法(ハイテク犯罪関係)部会第1回会議 議事録

(下線は筆者によるもの)

基本的に,コンピュータの使用者の意図に沿わない動作をさせる,あるいは意図している動作をさせないような指令を与えるプログラムは,その指令内容を問わずに,それ自体,人のプログラムに対する信頼を害するものとして,その作成,供用等の行為には当罰性があると考えておりますが,そういうものに形式的には当たるけれども社会的に許容できるようなものが例外的にあり得ると考えられますので,これを除外することを明らかにするために,「不正な」という要件を更につけ加えているということでございます。

法制審議会刑事法(ハイテク犯罪関係)部会第3回会議 議事録

(下線は筆者によるもの)

参照:「懸念されていた濫用がついに始まった刑法19章の2「不正指令電磁的記録に関する罪」」高木浩光@自宅の日記

 

 そして、「不正な指令」の判断基準について、法務省は、「プログラムによる指令が『不正』な物に当たるか否かは、その機能を踏まえ、社会的に許容し得るものであるか否かという観点から判断することになる」としています(「いわゆるコンピュータ・ウイルスに関する罪について」法務省ホームページ・3頁)。

 しかし、この「社会的に許容し得るものであるか否か」という基準についても極めて曖昧であると言わざるを得ません。そもそも、ConiHiveは、昨年9月にスタートしたばかりであり、これが社会的に許容されるマネタイズ手法であるかどうかも十分に議論されておらず(世論が構築されておらず)、警察が一方的に「社会的に許容されない不正な指令だ!」と息巻いている状況なのです。

 もしかしたら、「鬱陶しい広告が表示されるぐらいであれば、CoinHiveのマイニングプログラムを設置してもらった方がいい」と考えるユーザーが増え、このようなマネタイズ手法が社会的に広く許容される時代が来るかもしれません。その余地が残されている状況下において、不確定要素の多い「社会的許容性」を拠り所とするのはナンセンスでしょう。これから先も、同じようなケースに何度もぶち当たることは想像に容易いですよ。

 

ネットユーザーたちの「意図」はどこにあるのか。

 先月、GDPRが施行されるなど、情報セキュリティは新たなステージへ移行しつつありますが、その一方で気になるのは、このような環境の変化に対応できるユーザーと、置いてけぼりを食らうユーザーとの間の情報格差です。

 甲南大学法科大学院の園田教授は、本件事案について、「技術者にとっては常識的な技術でも、一般の利用者にすれば、自分のパソコンが他人に道具のように使われているとは想像できないだろうし、そうされたいとも思わないだろう」とコメントしていますが、「本当にそうかな?」と思います。マイニングの意味を聞かされても、それが「良いこと」なのか、「悪いこと」なのか、ピンとこない人も沢山いるんじゃないかと思っちゃうのです。

 このような時代にあって、ネットユーザーの「意図」を軽々しく論じることは憚られるし、そのような流動性の極めて高い要素に依拠して犯罪の成否が左右されるという点において、私は、不正電磁的記録に関する罪の立法的欠陥があるように思えます。

 

潜在的な「通り魔予備軍」と相互監視社会が担う役割

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  つい先日、ニュースなどで流れていましたが、新宿駅で女性にわざとタックルする男性の動画が話題になっていますね。

 

www.j-cast.com

 

 肩がぶつかるぐらいだったら、ただの迷惑行為ぐらいで済むかもしれません。ただですね。もし仮に、ぶつかった拍子に相手の女性が転倒し、ケガでもさせたられっきとした刑事事件になります。

 なので、もしこういう男性の標的にされて、タックルされたら、演技でもいいので転んでみたり、思いっきり痛がってみましょう。本人もまさか大ごとになるとは思っていないはずなので、たぶん慌てふためくと思います。あるいは、女性しか狙えないチキン野郎なので、その場から逃げ去ると思います。

(もちろん、本当にケガしそうな危険なタックルなのであれば、自らの身を守ることを第一に考えるのが前提です)

 

 とまあ、私が思う対処方法はそのぐらいにして、本題に入ります。

 今回の件を目にして、私が思うことは、まず一つ目に、こういう無差別な迷惑行為を行う通り魔予備軍が、一定数私たちのすぐ身近に潜在しているということ。もう一つは、これまでは検挙に至らなかった通り魔暴行犯を検挙できるかもしれない世の中になってきたということ。主にこの2つです。

 

通り魔事件の検挙件数の推移から見る実情

 法務省の公表している「犯罪白書」や、警察庁が公表している「犯罪情勢」を見る限り、平成5年以降、通り魔殺人事件の検挙(認知)件数は、平成20年の14件を除けば、いずれも9件以下で推移しています。これは、昭和55年の統計にまで遡ってみても、同じような件数で推移しているように見受けられます。

(昭和55年以降、通り魔殺人の検挙(認知)件数が10件を超えた年は、昭和57年、昭和60年、昭和63年、平成8年、平成10年、平成20年だけです)

 

 つまり、直近の約40年間、日本における通り魔殺人は、増えるわけでもなく、かと言って減るわけでもなく、年によって多少の振れ幅はあるものの、一定数を保ちつつ推移しています。

 そして、(古いデータになってしまいますが)昭和57年の犯罪白書を紐解きますと、通り魔事件の発生件数は、総数254件、罪名別では、殺人が7件、傷害が112件、暴行が25件となっています。同資料において、「被害者と全く無関係な犯人による通りすがりの犯行であるため、犯行後犯人が逃走した場合、その特定が難しく、検挙が困難」という記述があることから、おそらく、検挙に至らなかった暴行傷害事件が、通り魔殺人事件の背後に相当数潜んでいると思われます。

 

 そう考えていきますと、話題の彼は、今のところ、ただぶつかっているだけなので可愛いものですが(迷惑極まりないですが)、むしゃくしゃがエスカレートされていき、そのうち、女性を殴りつけたり、凶器を使って殺傷するなどの犯罪行為に及ぶのではないかと疑ってしまいますし(ただ、話題の彼については、そこまでの度胸はないと思いますが)、そういう「通り魔予備軍」が、一定数自分たちの身近に存在するということを、我々は常に頭の片隅に置いておかなければならないと思います。

 

相互監視社会の到来によって泣き寝入りは減る…かもしれない。

 通り魔事件のうち、殺人事件については、犯罪認知後、年内に検挙されることが大半です。秋葉原無差別殺傷事件のように、大勢の人混みの中で犯行に及び、その場で現行犯逮捕されることもあります。

 しかし、上述のとおり、殺人には至らない傷害、暴行、痴漢等の通り魔事件の場合、犯行後、すぐに犯人がその場を後にすると、現場には証拠らしきものは何も残らず、被害者と特定の接点を持たない犯人を特定することは困難を極めることになり、被害者は泣き寝入りせざるを得ないことがほとんどでした。

 

 こうした流れの中で、近年、監視カメラの設置数の増加とともに、スマートフォンが爆発的に普及したことにより、突発的に発生した犯罪であっても、写真や動画という形で証拠保存することが可能な相互監視社会が到来しました。先日の日大と関学大のアメフトの試合においても、問題となった反則行為は動画という形で鮮明に記録されています。

 そして、今回の迷惑行為についても、バッチリ動画という形で記録されています。監視社会の到来によるプライバシー権(自己情報コントロール権)の侵害の問題とか、ロースクール時代に憲法の論文試験で出題されたような気もしますが、このような相互監視の傾向は、犯罪の抑止・検挙に資するものであることはもはや疑いようがないと思われます。これまでだったら泣き寝入りせざるを得なかったような通り魔事件であっても、今後、多少なりとも検挙率が上がることを期待します。

 

通り魔予備軍のうちに心の闇に光を照らす社会を。

 凶悪な無差別殺傷事件を起こした犯人の供述を聞いていますと、歪んだ正義を持っている犯罪者もいますし、ハッピー・スラッピングのような愉快犯もいますが、社会に対する不満や劣等感が徐々に蓄積され、ある時、その不満が一気に爆発する犯罪者もいます。

 話題となっている彼も、何かしらイライラするようなことがあったんだと思います。自分より弱い立場にある女性にわざとぶつかってストレスを解消しているつもりなんでしょう。やっていることは本当に幼稚なんですが、彼の抱えるストレスが一過性のものではなく、彼の心を覆いつくす闇なんだとしたら、彼のタックルは、迷惑行為であると同時に、SOSサインでもあると思うのです。私にはそう見えます。

 

 良い歳をした大人が、そんな形でしかSOSを出せないこと自体、おかしな話なんですが、拡散された動画を見た彼の友人や身近にいる人間が、彼の異変に気付いてあげられたら良いなと思います。最終的に、自分の心と向き合うのは本人ですし、これから先の人生は全て彼自身の責任ですが。

 そんなことをあれこれと考えていきますと、相互監視社会の到来は、これまで泣き寝入りをせざるを得なかった被害者を救済するだけでなく、社会の雑音の中に消えゆく運命にある人々の心の闇とSOSの声に対して、スポットを当てることにもなるんじゃないかとも思えます。

 

日大アメフト選手の記者会見に想う。

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 昨日、日大アメフト部の選手(以下「日大選手」といいます。)が、実名・顔出しで記者会見に応じました。

 実のところ、明日24日、日大の正式回答(2回目)が出されるのを見てから、再度ブログでこの問題を取り上げようと思っていたのですが、若干20歳の学生が、記者会見を開くという異例の事態を目の当たりにし、日大アメフト部及び日大の対応にとてつもない違和感を感じたため、フライングで記事を書きます。

 

(前回の記事はこちら↓)

 

 

日大アメフト部の対応は完全アウト。

 企業不祥事に例えてみます。

 ある有名企業に勤める社員がコンプライアンス違反を起こし、周囲から「経営上層部による不正行為の指示があったのではないか?」と疑われている最中、社長が全く表に出てこず、コソコソと逃げ回っていたとしたら、世間は「クロ」と見なします。「弁明できることがあるなら、公の場に出てきて弁明すればいいし、やましい気持ちがあるからこそ、弁明できないのだろう」と。

 このような対応は、経営トップとしてはあり得ない行動ですし、危機管理を心得ている経営者であれば、どこまで詳細に話すか、どのように話すかは別として、ひとまず会社としての見解を発するのが普通です。と言いますか、説明責任を果たすべき立場にある者はそうしないといけないんです。

 法務の立場から見ますと、指示があったかどうかに関わりなく、そのような初期対応をとらなかった時点で、内田前監督をはじめとする日大アメフト部の対応は完全アウトです。「なぜ、すぐにコメントを出せなかったのか?」と、体制の不備を突っ込まれることになりますし、苦しい言い訳に終始することになります。そもそも、すぐに謝罪しなかった時点でアウトですけどね。

 

 また、初期対応だけでなく、その後の対応も完全アウトです。

 社長の責任が問われている渦中において、やっと社長が姿を現して、「この場ではお話できません。調査のうえ、後日書面で回答します」と言葉を発したら、世間は「どこまで逃げるつもりなんだ」「誠実さのかけらもないな」と思うでしょう。社長が表に出てくる以上、周囲は、詳細な話が聞けると期待しますし、組織の危機的状況において、「黙して語らず」という態度をとることは、トップの人間がやることではありません。

 「全ての責任は自分にある」と言いつつ、説明責任を果たせない時点(そのような人間がトップに立っている時点)で、正直、日大アメフト部に期待できることは何もありません。彼らを突っついても何も語らないのですから、あとは、アメフト部を総括する立場にある日本大学が全ての問題を引き受けて、真相の究明と説明責任を果たしていくしかないと思います。

 

日本大学の対応も今のところアウト。

 日大アメフト部の部長および監督名義で提出された当初の回答文によりますと、「選手に対して、ルールに基づいた厳しさを求めることはあっても、違反行為を指示するようなことは全くない」「指導者による指導と選手の受け取り方の間に乖離があった」と弁明しています。

 しかし、日大選手および日大選手の記者会見に同席した代理人弁護士の話によりますと、反則行為があった試合当日はもとより、試合後においても、問題となった反則行為に対して、監督・コーチからの聞き取り調査はなかったと明らかにされています。選手に対して、大学からの聞き取り調査はあったようですが、それはアメフト部による聞き取りではないという点も代理人弁護士が確認しています。

 アメフト部からの聞き取り調査が行われていないのに、なぜ「乖離があった」と言えるのか。代理人弁護士の方によるこの問題提起はまさにその通りですし、非常に鋭い視点だと思います。要するに、上記回答文は、日大選手が監督・コーチの指示をどのように受け取ったのかという点について、アメフト部が確認していないにもかかわらず、「乖離があった」と一方的に決めつけて提出されたモノだということです

 

 内田前監督は、説明責任を果たす気がないようですから、日大アメフト部にまともな回答を期待するのは無理な注文だと思います。それならば、せめて日本大学にまともな回答を行って欲しいと願うばかりですが、日大選手の記者会見を受けて、日大広報部は下記コメントを発表しています。

 

会見全体において、監督が違反プレーを指示したという発言はありませんでしたが、コーチから「1プレー目で(相手の)QBをつぶせ」という言葉があったということは事実です。ただ、これは本学フットボール部においてゲーム前によく使う言葉で、「最初のプレーから思い切って当たれ」という意味です。誤解を招いたとすれば、言葉足らずであったと心苦しく思います。

(下線は筆者によるもの)

 

 このコメントに対して、何とも言えない "気持ち悪さ" を感じるのは私だけでしょうか。

 日大選手は、「潰せ」という指示があったことだけではなく、「相手のQBがケガをして、秋の試合に出られなかったら、こっちの得だろう。これは本当にやらなくてはいけないぞ」と、コーチから念を押されたことも証言しています。これは違反の指示ではなく、監督のいう「潰せ」という指示が、「ケガをさせろ」という意味であることを明確にする趣旨の発言です。

 もし、「潰せ」という指示が、日大アメフト部において、伝統的に「思い切って当たれ」という意味で用いられており、試合当日においても、監督がそういう意図で使用していたのだとすれば、監督による指示とコーチの受け取り方の間にも乖離があったということになります(あくまでも、本当にそういう意味で使用していたら…という話ですが)。

 ならば、問題の本質は、指導者による指導と選手の受け取り方の間の乖離ではなく、監督の指示を正しく把握できなかったコーチ陣の情報共有・意思疎通の問題ということになりませんかね。監督の意図はさておき、監督の指示をコーチが勘違いして、誤って選手に伝えていたんですから。

 

選手が会見で話されたとおり、本人と監督は話す機会がほとんどない状況でありました。宮川選手と監督・コーチとのコミュニケーションが不足していたことにつきまして、反省いたしております。

 

 いや、違うでしょ。上記の理屈でいうなら、反省すべきは監督とコーチの間のコミュニケーションが不足していたことなんじゃないんですかね。

 この点に関する言及が一切なく、「監督が違反プレーを指示したという発言はありません」と結論付けるのは、問題の本質からズレていますし、事実の確認及び適示があまりにも稚拙です。

 

 あとですね。「潰せ」という言葉が「思い切って当たれ」という意味で用いられているという事実について、監督・コーチなどのアメフト部関係者からの聞き取り調査によって判明したものと想像しますが、この点について、大学は、日大選手に確認したんですかね?

 少なくとも記者会見での話を聞いている限り、日大選手は、こういう指示を恒常的に受けていた様子はなく、本当に試合前によく使われる言葉なのか?と疑問に感じます。もし、日本大学が、監督・コーチの説明だけを一方的に採用しているのだとすれば、日大の調査に全く公平性はなく、そんなコメントを垂れ流している時点で、日本大学の対応も非常にお粗末な印象を受けます。

 

日大にとって、ここから先はいずれにせよ茨の道。

 日本大学は、「反則行為の指示があった」という選手側の主張を採用することも出来たはずであるのに、「監督・コーチによる違反プレーの指示はなく、指導者による指導と選手の受け取り方との間に乖離があった」というアメフト部が提示した当初のシナリオを採用しました。おそらく、明日もその旨を繰り返す回答文を発表するのでしょう。

 この道を選んだ以上、ここから先は本当に茨の道です。もし、監督・コーチに捜査が及ぶなどして、反則行為(暴力行為)の指示の事実が明らかとなれば、監督・コーチに協力して、事実を隠蔽しようとしたのではないかとの批判は避けられません。

 そうでなかったとしても、「学生を見捨てた大学」「学生を守れなかった大学」というイメージはずっとつきまといます。このイメージダウンを回復させるのは並大抵のことではありませんよ。

 

 引き返せないところまできてしまったという印象も受けますが、ひとまず明日24日の回答に注目したいと思います。

 

(2018年5月24日追記)

 この記事をあげた直後に、日大アメフト部・前監督およびコーチによる記者会見が開かれ、改めて違反の指示はなかったと釈明しましたね。双方の主張の食い違う部分については、今後の捜査の中で明らかにされていくことを願います。

関学大と日大のアメフトの試合に関する刑法上の視点など。

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 先般、話題となっている関学大と日大とのアメフトの試合で起こった危険なラフプレーについて、関学大が、日大に公式謝罪を求め、指導者による指示によるものかどうか、原因の究明を求めるのは当然すぎるほどに当然です。

 

 報道によりますと、問題となるラフプレーを行った日大の選手はアメフト部を退部することになったそうですが、本日は、問題となった試合について、刑法上の問題点に触れながら、スポーツの指導者が担うべき役割・責任について言及したいと思います。

 

 

1. スポーツ傷害が罪にならない理由

 アメフトは、選手同士が激しくぶつかり合う非常に激しいスポーツですが、もし仮に、ルールの範囲内でプレーした結果として、出場選手が傷害を負った場合であっても、ご存知のとおり傷害を負わせた選手は罪に問われません。このようないわゆる「スポーツ傷害」は、刑法第35条に定める「正当行為」として違法性が阻却されるからです。

 

刑法第35条(正当行為)

法令又は正当な業務による行為は、罰しない。

 

 ボクシングなどの格闘技においても、正当行為に該当することを理由として、相手に傷害を負わせても罪に問われません。私生活上の暴行とスポーツ行為は、質的に全く異なるものなのです。

 ただし、スポーツ傷害に関して、刑法第35条の正当行為ではなく、いわゆる「被害者の同意」に違法性阻却の根拠を求める見解も有力ですが、本日の記事では、正当行為による違法性阻却を念頭に置いて論を進めます。

 

2. 正当行為として違法性が阻却されるための要件

 スポーツ傷害が正当行為に該当するものとして違法性が阻却されるとしても、いかなる場合でも罪に問われないというわけではありません。正当行為として認められるための要件があります。

 この点、スポーツ行為が「正当行為」として違法性が阻却されるためには、①スポーツを行う目的の下、②ルールを遵守して行われ、③相手方の同意の範囲内で行われることを要件として判示したもの(大阪地判平成4年7月20日 判例時報1456号159頁参照)があります。以下詳述します。

 

 まず、最初のスポーツ目的要件(①)について。

 例えば、単なる「しごき」目的で行われた部員に対する暴行が問題となった「ワンダーフォーゲル事件」では、部員に対する暴行は、スポーツ目的で行われたものとは認められず、刑法35条の適用は否定されています(東京地判昭和41年6月22日)。この理に鑑みれば、プロ野球における乱闘などは、もはやスポーツを行う目的ではないので、正当行為には当たらないと思われます。

 

 次に、ルール遵守要件(②)について。

 仮に、スポーツを行う目的であったとしても、ルールを遵守しなければならないことは言うまでもありません。既にゴングが鳴って、レフェリーがストップしているにもかかわらず、相手を殴り続けてケガをさせたら、もはやスポーツ性は否定され、正当行為とは認められません。このように、判例は、ルールの範囲内でスポーツ行為を行うことを要求しています。

 

 最後に、相手方の同意要件(③)について。

 「相手方の同意の範囲内で行われること」も重要な視点です。スポーツ目的で行われ、それがルールの範囲内だったとしても、例えば、相手がルールを理解していないような初心者であった場合において、それを分かったうえで、手加減無しでタックルしたり、殴ったりしてケガを負わせたら、正当行為とは認められない可能性があります。相手はルールを理解していないので、同意があったとはいえず、スポーツの範疇を超えたものとみなされるからです。

 

 以上のように、判例は、スポーツ行為を行う主体の主観(スポーツ目的)、スポーツ行為の相手方の主観(同意)、スポーツ行為の態様(ルールの範囲内)という観点から、総合的に正当行為に該当するかどうかを判断しています。

 

 翻って、今回のアメフトの問題を考えてみるに、冒頭にも述べたとおり、アメフトは選手同士が激しくぶつかり合うスポーツです。そのため、このようなスポーツの特性を理解したうえで、試合に出場していた関学大のQBの選手も、ルールの範囲内においてタックルされることは同意していたといえますし、その限りにおいてケガを負ったとしても、日大の選手の行為は、正当行為として特に問題はなかったでしょう。

 しかし、危険なタックルをした日大の選手が、もし、関学大の選手を痛めつけることだけを目的としていたのであれば、スポーツ目的ではなかったと言えます。実際、どのようなことを考えていたのかは不明ですが。

 また、ボールを持っていない選手に対するタックルや背後からのタックルは、ルール上禁止されているので、日大の選手は、ルールを逸脱したスポーツ行為に及んだことになりますし、ボールを投げ終わった後の無防備な状態でタックルされることまで、関学大のQBの選手は同意していないでしょう。

 そのように考えていきますと、今回の危険なタックルは、正当行為として違法性が阻却されるものではないと思われます。

 

3. 危険なプレーを伴うスポーツにおける指導の重要性と指導者の責任

 ここから先は法律論を離れますが、今回の騒動を受けて、私が思うことは、危険なプレーを伴うスポーツに従事する上位者(監督、コーチなど)の指導がやはり重要であるということ。

 なぜなら、危険なラフプレーによって、選手たちの身体・生命の安全が脅かされるという点もさることながら、一歩間違えれば、選手が犯罪者になってしまう可能性も秘めているからです。このことは、スポーツ傷害が正当行為と認められるための判例の規範を見ていても明白であり、危険なプレーを伴うスポーツに従事する指導者は、選手に対して、しっかりとルールを理解させたうえで、ルールの範囲内でプレーすることを徹底させなければなりません。それが、相手チームの選手だけでなく、自チームの選手を守ることにも繋がります。それだけの重い責任を負っているのです。

 

 もし、そのことを深く認識せず、ちゃらんぽらんな指導者だったとしたら大変なことになります。「ボールを持っていない無防備な選手に、背後からタックルを仕掛けろ」などと、ルールを無視するようなことを指導していたとしたら、スポーツとして成立しないばかりか、相手チームの選手を危険な目に遭わせ、加えて、自チームの選手が犯罪者になってしまいかねません(もちろん指示を出した本人も)。

 危険なプレーを伴わないスポーツだったら、別にちゃらんぽらんな指導者でも良いという意味ではありませんが、その責任の重さは比にならないのです。

 

4. むすびに

 危険なプレーを伴うスポーツに従事する指導者が、上記のような重い責任を負っているがゆえに、冒頭において、私は、「指導者による指示によるものかどうか、原因の究明を求めるのは当然すぎるほどに当然」と申し上げました。

 もし、今回の一件が指導者の指示であったとしたら(故意だったとしたら)、「ごめんなさい」では済まないからです。日大アメフト部の存続だけでなく、選手・監督の刑事責任の追及、被害を受けた関学大の選手による損害賠償請求など、問題が更に拡大していくことは想像に容易いです。

 

厳格な自主的ルールを定めることの弊害

厳格な自主的ルール_反感

 先日、当ブログでも書かせて頂いた神戸製鋼所の報告書の中に、「厳しすぎる社内規格」と題して、次のような記載があります。

真岡製造所等、一部の工場では、顧客規格よりさらに厳しい社内規格を設けていた。これは、そもそもより厳しい社内規格を設ければ、事前に工場の工程能力の不足に気づき、それを是正すれば顧客への不良品の流出を防げるとの考えで導入されたものである。しかし、本来出荷基準は顧客規格合格判定であるべきところを、社内規格を満たしていないと出荷できないといった仕組みとしていた。さらには顧客規格の厳格化が進み、一部の製品においては、社内規格はそもそも守れない規格として常態化していたこともあり、社内規格を満たさない場合において、工場の生産能力の見直しや顧客規格の緩和申し入れ等、正規の手続きを行うことなく、改ざんが行われるようになったと考えられる。

(下線は筆者によるもの)

 

 これを字面通りに解釈するのであれば、本来顧客規格が基準となるべきところ、それよりも厳しい規格を設けていたがために、「社内規格は守れない基準」という認識が従業員の間で一般化し、社内ルールを暗黙のうちに破る風土を作る原因となってしまった…と。

 ただ、ルールを厳格化することは、一見すると「コンプライアンスを重視する風土作り」に一役買っているようにも思えます。それでも、このような厳格な社内規格を設けていたことが、今回の不適切行為の原因の一つと分析したことは注目に値します。

 

 本記事では、この点を取り上げ、自主的ルールの在り方について考えてみたいと思います。

 

厳しすぎる自主的ルールは反作用を生む。

 私は、上記の分析は、かなり鋭いと思いますし、的を得ていると思います。

 その理由についてですが、第一に、本来のルールよりも厳しい自主的ルールを定めることは、かなりの確率で反作用(反感)を生むことになると考えられるからです。

 

 例えば、ある運送業者において、自主的に、ドライバーによる走行スピードを「法定制限速度マイナス10キロ」と設定していたとします。法定制限速度が40キロの道路においても、30キロで走行しなければならないというルールです。

 特にノルマが課せられているわけでもなければ、そのような自主的ルールに対して、反感は生じないかもしれませんが、1日にこなさなければならない運搬ノルマなどの定量的な作業が定まっていた場合、このような自主的ルールは「足かせ」でしかなく、自主的制限速度を定めて安全運転を徹底させつつ、その一方で運搬ノルマを課すことは、相反する事柄(ダブルバインド)を従業員に強いていることになります。

 

 そうすると、従業員から「安全運転を徹底させつつも、売上のために運搬ノルマを課すことは矛盾してるじゃないか」「そもそも、法定制限速度でいいじゃないか。自主的ルールを定めることに意味なんてあるのか?」という反感が生じることが予想されます。

 神戸製鋼では、厳しい社内規格を定めつつも、現場に収益を求めたがために、従業員による反作用が生じたのだと想像できます。そして、誰も自主的ルールなんて遵守しなくなったのだと。

 

ルールを破る心理的ハードルを下げることに繋がる。

 自主的に定めた社内ルールを破っているだけであれば、社内の問題だけで済みます。しかし、神戸製鋼では、そのような社内規格だけでなく、顧客規格も遵守されていませんでした。

 私は、社内規格と顧客規格は、対内的・対外的な問題だけでなく、別の問題も孕んでいると考えています。すなわち、「一度ルールを破れば、その次のルールを破る心理的ハードルが低くなる」という問題です。

 

 これは、コンプライアンス違反事例ではよくあることなんですが、常習的な違反者の中には、最初のうちは、違反回数は少なく、違反の程度も軽微だったのに、ルールを破ることによって、本人の中でストッパーが外れてしまったのか、徐々に違反回数が増えるなどしてエスカレートし、違反の程度が重くなっていったという人もいます。

 また、厳格な社内ルールを定めて運用していたところ、現場から悲鳴が上がり、「今回だけは特別に認めてもらえませんか?」といった相談に応じて、例外を許容しているうちに当初のルールが形骸化し、原則と例外が逆転してしまう現象にも近しいものがあります。こういうことが常態化すると、現場には「どんなに厳しいルールでもゴリ押しすれば何とかなる」という風潮が漂うようになり、そのうちルールを軽視して、相談をせずにルールを破る人も出てきます。ルールの厳格さが希薄化し、知らず知らずのうちに、ルールを破ることに対するハードルが下がっているのです。

 

 以上を踏まえ、厳格な自主的ルールを定めることは、単に従業員からの反作用を生むにとどまらず、その次のルール(本来遵守しなければならないルール)まで危険に晒しているのではないかというのが私の意見です。

 

まとめ

 神戸製鋼の報告書によると、厳しい社内規格を設けた理由について、「より厳しい社内規格を設ければ、事前に工場の工程能力の不足に気づき、それを是正すれば顧客への不良品の流出を防げるとの考えで導入されたものである」と述べられており、言わんとしていることは凄くよく分かります。

 ただ、法令や契約上の仕様よりも基準を厳格にするなら、それ相応の合理性が必要ですし、全ての従業員を納得させるのは無理でしょう。上記のとおり、弊害の方が大きいと思われます。神戸製鋼の事案を見ていますと、そんなことにも気づかされます。

神戸製鋼所「原因究明と再発防止策に関する報告書」について

 少し遅れましたが、神戸製鋼の報告書を読んだ感想を書き留めておこうと思います。

 なお、報告書は こちら から閲覧できます。

 

 

神鋼は不適切行為の原因をどう分析したか。

 報告書によると、今回の不適切行為の原因は、次の5点にあるとまとめられています。

(1)収益評価に偏った経営と閉鎖的な組織風土
(2)バランスを欠いた工場運営
(3)不適切行為を招く不十分な品質管理手続き
(4)契約に定められた仕様の遵守に対する意識の低下
(5)不十分な組織体制

 

 これらの見出しだけを見ていると、企業不祥事が起こるメカニズム・原因には、ある種の普遍性のようなものを感じます。収益を追求する偏向経営、上層部に意見できない風通しの悪い企業風土、下部組織への権限移譲・裁量権肥大による監視機能の不全、独自の社内ルールの横行、経営上層部と現場との間の問題意識の剥離、長期にわたる不適切行為の継続による遵法意識の低下など。

 以下、原因項目について抜粋しながら目を通していきたいと思います。

 

収益評価に偏った経営と閉鎖的な組織風土

 神戸製鋼は、収益重視の評価を推し進め、経営のスピードと効率化を図るために下位組織に権限を委譲し、その結果、各組織での自己統制力に依存する状況となったと分析したうえで、次のように続けます。

本社経営部門による事業部門への統制が、収益評価に偏っていたことから、経営として工場において収益が上がっている限りは、品質管理について不適切な行為が行われているような状況にあるか否か等、工場での生産活動に伴い生じる諸問題を把握しようという姿勢が不十分であった。
この経営管理構造が、「工場で起きている問題」について現場が声を上げられない、声を上げても仕方ないという閉鎖的な組織風土を生んだ主要因と認識する。

 

 ここで言わんとしていることは分かりますが、収益が上がっている限り、現場での諸問題を把握しようとしない経営陣の姿勢が、批判的意見を封殺する閉鎖的な組織風土を生んだというより、そのような消極的な姿勢が、不適切行為の常態化を招く湿度の高い環境造成に繋がってしまったと言う方が適切のような気がします。「閉鎖的な組織(人の固定化)」という項目(13頁)においても同様の趣旨のことを述べているように思うのですが、どうなんでしょうか。

 批判的意見・内部告発を封殺するような動きがあったのであれば、自浄作用の機能不全という別の問題になると思いますが、2003年にコンプライアンス委員会が設置され、内部通報制度が導入されているものの、この点については、「品質に関しては過去大きく問題になった不適切事案の再発防止を念頭に注力してきており、今回の問題のような顧客仕様遵守に力を割いてこなかった側面があることも否定できない(15頁)」と述べるにとどまっています。

 

契約に定められた仕様の遵守に対する意識の低下

 ここでは、要求品質よりも顧客満足度、すなわち生産量や納期が優先されるようになり、顧客との深い関係性の中で生じた従業員の意識の変化について触れられています。

担当者の中には製品が顧客仕様に適合するか否かではなく、顧客からのクレームを受けるかどうかが重要であるという考えに変質していった者もいた。そのような者が検査項目と工程能力を総合的に考慮しながらクレームを受けない範囲で改ざんを行って業務を進めていたと推察される。

(太字は筆者によるもの)

 

 これはどの企業でも当てはまる問題で、たとえ監視機能が不全に陥っていなかったとしても、担当者が、企業と顧客の双方にとってwin-winとなるような最適解を見つけようとした結果、法令や社内ルールとは異なる独自の基準が生まれることもあります。

 あとで、このような問題が発覚し、担当者にヒアリングをすると、本人に全く悪気はなく、むしろそれが正規のルールだと認識していた社員もいます。要するに、神戸製鋼で常態化していた独自ルールの構築というのは、ルールを破る積極的動機がなく、遵法意識が低下していない状況下においても起こるものであり、このような些細な従業員の意識の変化に対し、管理部門は恒常的に注意を払う必要があります。

 神戸製鋼では、そのような独自ルールに基づく不適切行為が継続・常態化していったとのことですが、この点を早期に発見できなかったことは、コーポレートガバナンスの観点から見たときに致命的でしたね。

 

不十分な組織体制

 高度の専門性ゆえに各事業所の裁量が大きいことなどが理由でしょうか。品質管理が十分に行き届いていなかったどころか、「アルミ・銅事業部門の直轄組織である企画管理部、技術部には品質監査機能は無きに等しい状況」だったと述べられています。また、「品質保証や品質管理に係わる教育も体系化されておらず社内研修も不徹底であり、意識改革が図られることがなかった」と、かなり自省の念を込めた分析をしています(15頁)。

 ただ、「コンプライアンス機能の逐次強化を図ってきた」とはいうものの、倫理相談室やコンプライアンス委員会の具体的な施策内容については触れられておらず、相談件数などについても開示されていません。また、2010年に設置された「ものづくり推進部」について、品質監査機能の設置が見送られた理由も不明確であり、再発防止策として、品質保証部・品質監査部を設置することにより、過去の不透明な部分については蓋をするという印象も受けます。

 

再発防止策について

 最後に、再発防止策について少しだけ触れます。

 私が気になったのは、「言いたいことが言い合える活気ある職場風土づくり」という部分。これ、どの企業もやろうとしてなかなか出来ないんですよね。

 

「なんでも言い合える、耳に痛いことも言える」風土を築く。

職場単位での本音で意見が言い合える場や、工場トップと職場の階層別の対話の場を設け、風通しの良い職場づくりを進める。

 

 凄く大事なことですが、経営上層部や現場責任者とコミュニケーションをとる場を設けるだけではダメだと思います。経営者と従業員の距離が近いから「風通しが良い」と言うなら、毎日社長と従業員が顔を合わせる中小企業は全て風通しが良いことになりますけど、決してそんなことはなく、物理的距離なんて関係ないんですよ。

 神戸製鋼の場合、品質検査フローの見直しなど、他にも取り組まなければならない課題が山積していますが、是非組織として生まれ変わって欲しいと願います。

インターネット上のダフ屋行為の規制について

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 ヤフオクが、転売目的で入手されたチケットを出品禁止とするガイドライン改訂を行いましたが、ネット界隈では、様々な反応がありますね。「転売目的かどうかなんて、どうやって判断するんだ?」など。

 当該ガイドラインには、「転売する目的で入手したと当社が判断する」とあるので、ヤフーさんのさじ加減で決まるのでしょう(チケットの出品回数・頻度など、何かしら基準はあると思いますが)。

 

 チケットの高額転売の主戦場となっていたヤフオクにおいて、このような規制がなされたことにより、今後より一層インターネット上でのダフ屋行為に対する議論は熱を帯びていくと予想しますが、これについては周知のとおり様々な問題があります。

 なお、本記事において「ネットダフ屋行為」とは、インターネット上において、最初から転売する目的でチケットを購入する行為や、そのようなチケットを高額で転売する行為のことを指します。

 

 

ネットダフ屋行為を法的に規制できるか?

 私は、ネットダフ屋行為について、抜本的な解決策は法規制を及ぼす以外にないと思っていますが、そのような法規制を本当に実現できるかは疑問です。

 最初から転売目的で購入することも、それを転売することも、自由経済社会においては私人の自由であり、ネットダフ屋行為のみを規制する合理性が見当たらないからです。リアルダフ屋の場合は、つきまとい行為や購入強要行為を伴うため、公衆の安心・安全の保護という理由をこじつけることも可能ですが、ネットダフ屋行為にこの理は通じないでしょう。

 

 ただし、下記gktojoさんがご紹介されているイギリスの「Consumer Rights Act 2015」のように、チケットの転売時において情報提供義務を課すといった規制は、日本でもあり得るとは思いますが。。

gktojo.hatenablog.com

 

 結局のところ、当面は、ヤフオクのように、セカンダリマーケットが自主的な規制を行うか、販売者側が転売ヤーを排除するための方策を検討するなどして、チケット転売問題と向き合っていくしかないのだと思います。

 

経済学者や経済ジャーナリストの視点

 経済学者や経済ジャーナリストは、どちらかと言うと、ネットダフ屋行為の規制や取締りに批判的な記事を書かれたりしています。ツッコミどころは満載なんですけどね。例えば、筈井さんという経済ジャーナリストが執筆された記事がこちら。

news.infoseek.co.jp

 この中で、大阪大学の大竹文雄教授の見解に言及し、大竹教授は、抽選制度の場合だと、抽選に外れた熱烈なファンは、転売ヤーからコンサートチケットを入手する便益を受けることができるといった点で、転売ヤーの存在意義を認め、

 

「アーティストにとっても、大したファンでもないのに、偶然チケットの抽選に当たった人たちがコンサート会場に交ざっているよりも、熱烈なファンでコンサート会場が埋め尽くされている方がうれしいのではないだろうか」

 と主張。これに対し、筈井さんは「この指摘は正しい」と無条件で認めていますが、え?そうなんですか?抽選って、ファンクラブなどに入会されている方の中から選ばれるんですよね?「大したファンでもない」人が、「偶然チケットの抽選に当た」るという想定自体がおかしくないですかね?

 

 また、↓こちらの記事では、「チケット転売は、経済学的にはOK」と主張。

gendai.ismedia.jp

 そもそも、主催者側がチケットの市場価値をはき違えているのが原因であると指摘。チケット販売をオークション方式にすれば、転売しようとする人の利ざやをゼロに収束させることができ、定価販売よりはるかに転売目的の人の排除につながるとしています。

 確かに、これは経済学的には正しいんでしょう。定価の何倍もの価格で転売しても、取引が成立してしまうから転売ヤーが暗躍するのであって、完全競売方式にすれば、最初からチケット価格が吊り上がり、転売ヤーにとってチケットを転売する旨味はなくなります。

 

 しかし、オークション方式で得をするのは、主催者とお金持ちのファンだけであり、金銭的に裕福ではないファンや、もっと色んな層のファンに来て欲しいと願うアーティストなどにとってはデメリットしかないですね。

 ちなみに余談ですが、ビリー・ジョエルは、自身のライブの最前列には気取ったお金持ちしか来ず、本当に来て欲しいと願う熱狂的なファンが最後列に追いやられていることに気づき、最前列のチケットの販売をやめ、これを最後列のファンに配布するという男前な行動をとっています。

www.billboard.com

 

オリラジあっちゃんの構想

 そんなこんなで、電子チケットの発行、顔認証システムの導入、主催者側による公式二次流通サイトの形成など、ネットダフ屋行為を排除するための方策が取り入れられていますが、個人的に面白いと思ったのは、オリラジ・中田さんが発案した「ジャスト・キャパシティ・システム」。

lineblog.me

 さすがあっちゃん。チケット転売における問題の本質を論理的に分析したうえで、この方法を考案されています。

 簡単にまとめると、①複数の会場を仮押さえた状態で、チケットの販売上限数を決めずに、とりあえず販売開始→②チケットの売れ行きから観客数を予測して会場を本決定→③実際に売れた数に応じて、座席数を決定…という流れ。これならチケットが売り切れることもないし、全員定価でチケットを入手できるので、チケットの転売が成立しません。転売ヤーさん、残念!ってわけですね。

 

 ただ、中田さん自身が認めているとおり、このジャスト・キャパシティ・システムが通用するのは、規模の小さいライブだけであり、1回で何万人も集まる超人気アーティストのライブやコンサートでの導入は無理でしょうね。。

 

個人的に思うこと

 ネットダフ屋行為は、随分と昔から問題視されており、昨年にはアーティストたちがチケットの高額転売に反対する声明を出しましたが、このようなタイミングでヤフオクがガイドラインを改訂したのは、音楽業界全体でライブ興行の市場規模が拡大していることが大きく関係していると思われます。

この10年で市場は3倍、好調なライブビジネスの影に隠れた本質的な課題<エンタメ×ITの未来>まつだかついちろう - 幻冬舎plus

 

 CDは売れないかわりに、ライブは順調。そうなると、ますます転売ヤーの暗躍が懸念されますが、ライブ興行市場を拡大していくためには、転売ヤーの存在は邪魔でしかありません。主催者側には一銭も転売益は入らず、大切なお客様であるファンのお財布にも限界があるからです。

 ヤフオクは、チケット転売によって得をする側ですが、音楽業界から相当な圧力が掛かっていたのではないかと想像します。ヤフオク自体が「転売をする場所」であり、転売目的を否定することは、自分たちのビジネスを否定しているに等しく、今回の改訂はそういう時勢に逆らえなかった末の苦渋の決断と考えるのが自然です。

 ネットダフ屋行為に対する今後の法規制や業界の動向に注目していきたいと思います。

就活学生が見るべき企業のコンプライアンス上のポイント

学生_就職活動

 現在、BIZLAWの連載企画として、株式会社リクルートキャリア(就職みらい研究所所長)の岡崎さんによる「今、学生が仕事を選ぶ目 企業を見抜く目」という、学生と企業とのマッチングやコミュニケーション関連の記事が掲載されていますが、日々バックオフィス業務に従事している法務担当者という立場から、就活をしている学生が見るべき・聞くべきポイントをいくつか書いてみたいと思います。

 

 

はじめに

 まず、私は、大学卒業後、そのままロースクールに進学し、ロースクール修了後も司法浪人をしていたため、新卒で就職した経験がありません。学生時代に就職活動をしたこともないです。1社目の就職は第二新卒という扱いでしたし、2社目の転職は中途キャリア採用でした。ですので、学生の就職活動の苦労を100%理解しているかと言われると、そうとは言えません。

 ただ、人事・労務と法務の業務が重なる領域については、人事部門と密に連携を取りますし、採用活動に関する相談を受けることもあります。また、管理職や役員向けのコンプライアンス研修なども行っているので、このレイヤーにいる経営上層部のコンプライアンス意識なども(それなりに)把握しているつもりです。

 

 そのような経験を通して、私自身、ブラック企業かどうか、又はコンプライアンスを重視する誠実な企業なのかどうかを見極めたいのであれば、会社のこういう部分を見たらいいんじゃないかという提案として本記事を書いてみます。

 なお、本記事で言及したことを確認したからといって、その企業のコンプライアンスが全て分かるというわけではありませんが、何かしらの参考になれば幸いです。

 

「企業名+ブラック」で検索した情報について

 これは岡崎さんもおっしゃっていますが、「企業名+ブラック」で検索し、そのような口コミ情報がヒットしたからと言って、即ブラック企業と認定するのはナンセンスです。

 と言いますのも、どのような企業であっても、必ずミスマッチを起こす人材や不満を抱えている社員というのは存在します(もし、そんな社員が1人もいないという一定規模以上の会社があるのであれば教えて欲しいです)。

 

 すると、そのような社員が、転職会議などの口コミサイトに不満を書き込むこともあり、そのようなネガティブオピニオンがどうしても目立ってしまうのです。もしかしたら、不満を抱えているのは、ごく一部の社員だけで、残りの社員は全員満足しているというケースだって考えられます。それなのに、一部の意見だけで判断するなんて実に勿体無い。

 また、記事中にもありますが、過去に法令違反を起こした会社であっても、経営陣がそのことを猛烈に反省し、コンプライアンスを強化して企業体質をガラッと変えたという例もあります。私の知っている会社の中には、始業の1時間前の出社を義務付け、毎日の朝礼で社訓を大声で張り上げるという、絵に描いたような体育会系の会社がありましたが、新社長に交代してから、古い伝統を全て捨て去り、「始業時間までに出社すればOK」「朝礼なし(やっても意味ない)」「飛び込み営業は効率悪いので廃止」「10時以降の残業禁止」「無意味に怒鳴るマネージャーは無能の烙印を押す」と、社内ルールを次々と変えた会社もあります。

 

 もちろん「企業名+ブラック」で検索しても良いと思いますが、ネガティブな情報が出てきたとしても、参考程度にとどめるか、その部分について事実調査をするのが吉だと思います。岡崎さんも上記記事の中で、次のように指摘されており、正鵠を得ていると思いますね。

今、企業選びで大事なのは「悪い事実があるか・ないか」ではなく、それを「改善しているのか、それとも放置しているのか」という事後対応を調査することです。企業側としても、この部分をおろそかにしている企業はますます厳しい状況に置かれていくと思います。

 

確認すべきポイントは〇〇〇

 なかなか管理職や役員クラスの面接官に対し、突っ込んだ質問はしにくいかもしれませんが、一番意味がないのは「コンプライアンスについてどのようにお考えですか?」「どのようなコンプライアンス施策を行っていますか?」という抽象的・ありきたりな質問です。

 こんな質問をしても、「弊社では、定期的にコンプライアンス研修を行い~」「セクハラ・パワハラの相談窓口や内部通報窓口を設置して~」と、テンプレ回答が返ってきて終わりです。双方にとって何も得られるものがありません。

 

大企業の役員には組織体制の詳細を聞こう。

 会社法は、一定の企業に対し、内部統制システムの構築義務を課しており(会社法362条5項、348条4項など)、もし内部統制システムの構築義務を負っている企業を受けるのであれば、役員に対して、内部統制システムにおける「業務の適正を確保するための体制」について質問するのが良いと思います(詳細については、IR情報の株主総会の招集通知や決算報告書などに記載されているので、事前に確認しておきましょう)。

 何故なら、企業風土として、コンプライアンスを根付かせるためには、その前提として、組織の体制作りが不可欠であり、このことをちゃんと理解しているコンプライアンス意識の高い会社は、表面的なコンプライアンス施策だけではなく、組織の構造的な問題もしっかりと考えているはずだからです。逆に言えば、その部分を聞かなければ、コンプライアンスを重視している会社かどうかなんて分かりません。

 

 そして、「業務の適正を確保するための体制」の中には、法令遵守体制などが必ずと言っていいほど記載されています。書かれていることはテンプレ文言だったり、それぞれの企業のカラーが出ていたりと様々ですが、「内部監査部門による事業活動の適法性・妥当性監査に関して、取締役会や代表取締役への報告体制や報告頻度について教えてください」とか、「社外監査役による会計監査は、監査法人とどれぐらい連携して行っているんですか?」とか、「海外子会社のコンプライアンス体制について、どのようなフローで統制しているんですか?」とか、深く突っ込んで聞いてみてください。

 中には、ここらへんを全て管理部門に任せきりで、ほとんど把握していない役員がいるかもしれませんが、言葉を濁したり、「生意気な学生だな」と不機嫌になるようだったら警戒して良いかもしれません。逆に、答えられる範囲でしっかりと回答したり、分からなかったとしても、「ちゃんと確認してから回答する」という対応をするなら、コンプライアンス意識のある誠実な役員だと思いますし、そういう役員がタクトを振る企業であるならば、コンプライアンスが根付いているのではないかとの推測が働きます。

 

中小企業の経営者や管理職にはビジョンを聞こう。

 他方、内部統制システムの構築義務を課せられていない会社や、そこまで規模が大きくない会社を受けるのであれば、経営者に対し、コンプライアンスを重視する企業風土を確立・強化するためにどのような構想をお持ちなのかを聞いてみてください。企業規模にかかわらず、管理職に対しても、同様の趣旨で、どのような視点を持っているのかを聞くのが良いと思います。

 ただ、このフェーズにある企業の経営者や、全社的な意思決定を行う立場にない管理職に対し、完璧を求めることは酷です。岡崎さんも下記のようにおっしゃっていますが、これもまさにその通りで、法的知識があるかどうか、現に法令を遵守しているのかどうかを確認しても、デメリットの方が大きいと思います。

法律を盾にしてコミュニケーションに挑むと、会話が成立しないこともあります。法令を守るべきというのはその通りですが、法律も日々変わる中で、中小企業は法改正情報をキャッチアップ中ということもあります。査察に行くわけではないので、あまりデジタルに「これは×ですね」という会話をすると、相手は心を閉ざしてしまう可能性もあり、本来得たかったはずの「相手の深層を知る」こととは矛盾したコミュニケーションになってしまいます。

 

  あくまでも、コンプライアンスに関する将来的なビジョンを持っているか否か、持っているとして、それはどのようなビジョンかを聞く。理論武装をして質問をしていると、粗ばかりが目立って、相手の良さが見えてこないおそれがあります。ただ、あまりにちゃらんぽらんな答えが返ってきたり、何も考えていないことが透けて見えてしまった場合は、その直感を信じてもいいかもしれませんね。

 

大切なのは「答え」を持っていることではなく「問題意識」を持っていること。

 私は、コンプライアンス研修をしていて、「答え」を提示しているつもりはありませんし、「答え」を持ち帰って貰おうとも思っていません。白・黒のいずれにも解釈できる法的問題なんて、この世にはたくさんあるからです。また、無理にでも「答えらしきもの」を押し付けようとすると、物凄く退屈な研修会になって、あくびといびきが会議室に鳴り響きます。

 敢えて持ち帰って欲しいものがあるとすれば、それは「問題意識」です。コンプライアンス経営を実現するための正解なんてないし、大切なのは、日々そういった問題意識を持ち、組織を改革しようとしているかどうかです。管理職向けの研修会をやった後、わざわざ質問しに来て下さるような管理職の方は、問題意識をちゃんと日常業務に持ち帰っているし、ちゃんと社内ルールも守られています。

 

 あれこれ書いてきましたが、学生の就活生は、企業を見る際、コンプライアンスに関する「答え」を持っているかどうかを確認するのではなく、「問題意識」を持っているかどうかを確認すべきだと思いますね。結局のところ、私が言いたいことはコレに尽きます。

 そして、その問題意識が、自分の感覚と合っているかどうかを基準としてみてはどうかと思います。問題意識が合致している企業であれば、ミスマッチは防げるのではなかろうかと。そのためには、まず学生自身がしっかりと学ぶことが前提となることは間違いないですが、行き着く先は、企業と学生の双方が、問題意識を共有できるかどうかだと思います。

書籍レビュー(10)「体系アメリカ契約法」

書籍レビュー_体系アメリカ契約法

 今回ご紹介する平野先生の「体系アメリカ契約法」は、英文契約のドラフティング前に読む本としては超有名であり、アメリカ契約法のコンセプトを理解することを目的として執筆されています。ご存知の方は既にお持ちかと思います。

 ちなみに、「アメリカ企業はおろか、コモンローの国との取引(契約)すらない」という方は、本著を読む必要はないと思いますし、「アメリカ契約法の仕組みをちょっと知っておきたい」という場合は、樋口先生の「アメリカ契約法」の方が入門書としてはオススメです。また、アビタスなどで、既に米BarExam対策用のテキスト等をお持ちの方は、わざわざ本著を買い足す必要もないと思います(内容としては重複してます)。

 

 英文契約のドラフティングに関する書籍って、世の中に数多ありますよね。「英文契約の◯◯◯」とか言って。こういう類いの本って、大抵の場合、コモンローをベースにしてるんですが、コモンローとかアメリカ法をベースにしてるということをさらっと流して書いていたり(当たり前だろというスタンスで)、内容としてはとっっても薄かったりします。

 そのため、そういう本に書かれていることが、コモンロー以外の国との間で締結する契約にも通用するとの誤解を与えたり、内容としても疑問を完全に払拭できるわけではないので、余計な混乱を招く要因にもなります。平野先生も、別著「国際契約の<起案学>」において、「最近、英文契約のドラフティングに関する薄っぺらなノウハウ本が溢れている」と指摘されています。

 

 じゃあ、例えば、英文契約の背景にあるアメリカ法の学術面を勉強したいと思って、ヒルマンとか、コービンとか、ファーンスワースの本を読もうにも、内容が難解であるうえに英語で書かれているし、そもそも日本ではかなり入手困難で、「Corbin on Cobtracts」とか2,000ドルもするんですよ?ムリムリ(笑)

 そんな状況の中、平野先生が一肌脱いで、邦語でアメリカ契約法を解説したのが本著というわけです。私が知る限り、日本語で執筆されたアメリカ契約法の本の中で一番詳しいです。中途半端なノウハウ本を読むより、まずは本著を読むことを強くオススメします

 

 本著は、冒頭において、アメリカ社会における契約の意義や法源、アメリカ契約法の歴史等について触れた後、契約の成立、救済、法的拘束力、第三者の権利義務の移転、保証責任と続いていきます。全部で600ページほどあります。

 いずれの章も読み応え十分ですが、特に、契約の成立における「取引の交換(bargained-for exchange)」や「約因(consideration)」の考え方、コモンロー・衡平法・不法行為法上の救済、錯誤・詐欺防止法による契約者保護、契約の解釈、口頭証拠排除準則、実質的な履行と重大な違反、保証責任など、日本の民法には存在しない法概念や法制度については、読んでいて勉強になることばかり。初めて大学の講義で民法を学んだときのような新鮮な気持ちになりますね。

 

 また、単に学術面の解説をして終わりというわけではなく、英文契約の起案上の注意点などにも言及されているため、「あー、だから英文契約ではこういう表現を使うのか!」と、納得しながら読みすすめて行くことができます。

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 さらに、参照・引用している文献の数が尋常じゃない。これだけの法律の洋書を読み込むって、途中で心折れなかったんですかね。。私だったら確実に英語が嫌いになると思います…(笑)

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 というわけで、今回、平野先生の「体系アメリカ契約法」をご紹介しましたが、本著を読まれたあと、英文契約のドラフティングに関する別著「国際契約の<起案学>」を読むことにより、さらに理解が深まって効果倍増です。こちらもオススメです(機会がありましたら、こちらの書籍についても詳しくご紹介します)。

 

株式会社リグシーの笹原さんにお会いしてきました(+α)

株式会社リグシー_笹原さん

 

 以前、リーガルテック関連の記事として、↑このような拙い記事を書きましたところ、リグシーの笹原さんより直接ブログにお問い合わせを頂戴し、昨日お会いしてきました!

 なお、「Holmesの綴りが間違っていますよ笑」とのご指摘を受け、速攻で修正しました。大変失礼しました(^_^;)

 

 「ブログで記事に書いて頂いても大丈夫ですよー」とご快諾を頂けたのですが、いざ記事を書いてみようと思うと難しいですね。。「お会いして色々お話を聞くことができました」と書くだけでは面白みがないし、深く書こうにもどこまで書いていいのか分からない(笑)

 

 そこで、今回笹原さんとお話させて頂いた中で出てきた話題を「補完する」という趣旨でちょっと書いてみたいと思います。

 

SNSじゃなくてブログを書く理由

 今回、笹原さんより「Facebookで(記事を)書かないんですか?」と質問をお受けしたのですが、SNSで書かない理由をより詳しくまとめると以下のような感じでしょうか。

 

 勝手なイメージですよ?

 Facebookは「セレブが集まる社交パーティ」、Twitterは「ガヤガヤした居酒屋」、Instagramは「写真展覧会」。ちょっと語弊があるかもしれないですが、こういうイメージです。片や、ブログ界隈は「本屋」。ブログをやっている人が、SNSでブログや記事を拡散するのは、例えるならば、上記のような人が集まる場所に行って、「こういう本を書いたので、読んでみませんか?」と宣伝するようなものです。

 もし、これらのSNSでブログ記事のようなものを書くとなると、みんなが楽しく歓談している中で、いきなり講演やスピーチを始めるのと同じです。聞いてくれる人もいるかもしれないですが、参加者の属性はそれぞれ異なるので、当然ノイズに感じる人もいます。「うわぁ、、あの人なんか必死に話してるよ…」という冷たい視線が降り注ぐ中、講演を続けるだけのメンタルは自分にはありません(笑)

 

 本屋に執筆した本を置いておいて、「自由に読んでください」という方が自分にとってやりやすいので、ブログを書いてます。興味を持ってくれた人が、上記の人が集まるところに行って、自分の本を紹介して頂けたらめちゃくちゃ嬉しいですが、それはあくまでも結果論ですね。

 

管理部門の既得権益について

 リーガルテックの推進が進むと、例えば、これまで3人のマンパワーが必要だった業務が、1人で済むようになったりして、管理部門がスリム化される。そうすると、特に大企業なんかでは反発作用が生まれるのではないですか?という、既得権益やセクショナリズムの問題に言及したのですが、どの企業も契約書の締結承認フローや管理に悲鳴を挙げているのが現状であり、業務を合理化したい→けど、チェンジングコストがかかる…という問題の方が大きいというのは、お聞きしていて「あー、それはどの会社さんも同じなのか」と思いました。

 リーガルテックを導入してみたところで、自社環境に合わなければ、そのまま使われずに廃れていくし、そもそも合うかどうかも分からないのに、セクショナリズムも何もないですよね。

 

契約書の共同編集機能について

 笹原さんのおっしゃるとおり、契約書の共同編集は現実的に難しい部分があるんだろうなーと思います。承認フロー的にもその場で最終条項案を示せないことがほとんどで、現状としては、Wordファイルの交換などで、コメントの往来をするところに落ち着いています。

 他方、私は、日本人って、契約書の交渉を「喧嘩」とか「紛争」だとか、本来避けるべきものと認識している傾向があるんじゃないかと日々感じていまして、こういう認識も変わっていかなければならないものなんじゃないかという思いがあります。

 

dotplace.jp

 はっしーさんのブログの中で紹介されている↑こちらの記事を読ませて頂いたのですが、この中に、凄く共感できる一文があります。

契約書の大きな特徴の一つは、一方当事者だけでなく、契約当事者双方によって編集されていくことである。「契約書の文言って修正できるんですね! 一方的に提示されてそれにサインするものだと思っていました」と言う方に出会うこともあるが、契約書は契約当事者の合意内容を実現するためのコミュニケーション・ツールと捉えるのが正しい。契約当事者双方で修正を繰り返すと、Wordのコメント機能や削除履歴上で、契約当事者間の利害対立がアツいバトルとなって表れることも少なくない。だが、そのようなやり取りも、契約当事者双方が契約の目的にしたがって「あるべき形」に向かって編集を重ねていく共同作業と考えたほうがポジティブであるし、はるかに生産的であろう。

 

 まさにこれです。お互いの利害が対立している状況において、背後に色々な思惑があって、時にそれがバチバチ火花を散らすこともありますが、「これからビジネスをやるにあたって、お互い気持ちよく取引しましょう」「そのために契約を結びましょう」というゴールは同じはずです。あとは、「共同でエディションする」という視点があるかないか。最終意思決定の前に、そういう距離感を縮めるツールはあっても良いのではないかと思います。

 あと、その話に通じるところでもあるんですが、法務部門はブラックボックス化し過ぎています。私は、契約交渉をするにあたって、先方の営業担当者の方に「法務と直接話をさせてください」とお願いすることもあるのですが、これが受け入れられたことはないですね。商談や直接交渉の場に法務が出てこない方が良いというスタンスの会社さんもあると思いますが、私の経験上、心の通っていない交渉は得てして難航します。向こうの真意が分からないので、それを引き出すにも時間が無駄に掛かるのです。すんごい効率の悪いことしてるなぁ…と。

 別に喧嘩しているわけじゃないし、かと言って馴れ合うわけでもない。ビジネス上の信頼関係を築いて、一緒に良い作品(契約)を作りましょうというコンセンサスを形成する段階を経た方が、実は、長い目で見たときに、契約交渉はスムーズになるのではないかなーと思ったりしています。

 

リーガルテックの未来について

 ROSSが、ロースクール卒業生レベルのメモランダムだったら作れるという話を聞き、そういうAI技術が進歩していったら、最終的にはパラダイムシフトが起こり、全部AIがやってくれるようになるんだろうなーと思って、安直に答えましたが、正直なところ、短期的な未来は全然分かりません(^_^;)

 

 私の会社でも、やっと契約の承認フローや管理方法を見直し始めたところで、リーガルテックが、どのようなベネフィットをもたらしてくれるのか、検証する段階にすらないのですが、少なくとも契約回りについては、確実に変わると思います。

 あとは、法務に限った話じゃないですけどボーダーレス化。これは社内の部署間という意味だけでなく、会社間の垣根や国境も含めて。それこそオープンソースのように、契約書の雛形やノウハウなどが広く共有され、他国の弁護士とも簡単に繋がれるような法社会は実現するんじゃないか…といいますか、実現して欲しいと願っています。

 

最後に

 株式会社リグシーの笹原様。お声がけ頂きましたこと、改めて感謝申し上げます。本当にありがとうございました!私自身、学ばせて頂くことがたくさんあり、非常に実のある1日となりました。また機会がございましたらご一緒させてください。

 といったところで、今回の記事を締めくくらせて頂きたいと思います。それでは!