とある法務部員の備忘録

IT企業で法務をやっている独身アラサー。法務系のネタ、英語、雑記、ブログ運営などについて自由気ままに書き綴っています。

厳格な自主的ルールを定めることの弊害

厳格な自主的ルール_反感

 先日、当ブログでも書かせて頂いた神戸製鋼所の報告書の中に、「厳しすぎる社内規格」と題して、次のような記載があります。

真岡製造所等、一部の工場では、顧客規格よりさらに厳しい社内規格を設けていた。これは、そもそもより厳しい社内規格を設ければ、事前に工場の工程能力の不足に気づき、それを是正すれば顧客への不良品の流出を防げるとの考えで導入されたものである。しかし、本来出荷基準は顧客規格合格判定であるべきところを、社内規格を満たしていないと出荷できないといった仕組みとしていた。さらには顧客規格の厳格化が進み、一部の製品においては、社内規格はそもそも守れない規格として常態化していたこともあり、社内規格を満たさない場合において、工場の生産能力の見直しや顧客規格の緩和申し入れ等、正規の手続きを行うことなく、改ざんが行われるようになったと考えられる。

(下線は筆者によるもの)

 

 これを字面通りに解釈するのであれば、本来顧客規格が基準となるべきところ、それよりも厳しい規格を設けていたがために、「社内規格は守れない基準」という認識が従業員の間で一般化し、社内ルールを暗黙のうちに破る風土を作る原因となってしまった…と。

 ただ、ルールを厳格化することは、一見すると「コンプライアンスを重視する風土作り」に一役買っているようにも思えます。それでも、このような厳格な社内規格を設けていたことが、今回の不適切行為の原因の一つと分析したことは注目に値します。

 

 本記事では、この点を取り上げ、自主的ルールの在り方について考えてみたいと思います。

 

厳しすぎる自主的ルールは反作用を生む。

 私は、上記の分析は、かなり鋭いと思いますし、的を得ていると思います。

 その理由についてですが、第一に、本来のルールよりも厳しい自主的ルールを定めることは、かなりの確率で反作用(反感)を生むことになると考えられるからです。

 

 例えば、ある運送業者において、自主的に、ドライバーによる走行スピードを「法定制限速度マイナス10キロ」と設定していたとします。法定制限速度が40キロの道路においても、30キロで走行しなければならないというルールです。

 特にノルマが課せられているわけでもなければ、そのような自主的ルールに対して、反感は生じないかもしれませんが、1日にこなさなければならない運搬ノルマなどの定量的な作業が定まっていた場合、このような自主的ルールは「足かせ」でしかなく、自主的制限速度を定めて安全運転を徹底させつつ、その一方で運搬ノルマを課すことは、相反する事柄(ダブルバインド)を従業員に強いていることになります。

 

 そうすると、従業員から「安全運転を徹底させつつも、売上のために運搬ノルマを課すことは矛盾してるじゃないか」「そもそも、法定制限速度でいいじゃないか。自主的ルールを定めることに意味なんてあるのか?」という反感が生じることが予想されます。

 神戸製鋼では、厳しい社内規格を定めつつも、現場に収益を求めたがために、従業員による反作用が生じたのだと想像できます。そして、誰も自主的ルールなんて遵守しなくなったのだと。

 

ルールを破る心理的ハードルを下げることに繋がる。

 自主的に定めた社内ルールを破っているだけであれば、社内の問題だけで済みます。しかし、神戸製鋼では、そのような社内規格だけでなく、顧客規格も遵守されていませんでした。

 私は、社内規格と顧客規格は、対内的・対外的な問題だけでなく、別の問題も孕んでいると考えています。すなわち、「一度ルールを破れば、その次のルールを破る心理的ハードルが低くなる」という問題です。

 

 これは、コンプライアンス違反事例ではよくあることなんですが、常習的な違反者の中には、最初のうちは、違反回数は少なく、違反の程度も軽微だったのに、ルールを破ることによって、本人の中でストッパーが外れてしまったのか、徐々に違反回数が増えるなどしてエスカレートし、違反の程度が重くなっていったという人もいます。

 また、厳格な社内ルールを定めて運用していたところ、現場から悲鳴が上がり、「今回だけは特別に認めてもらえませんか?」といった相談に応じて、例外を許容しているうちに当初のルールが形骸化し、原則と例外が逆転してしまう現象にも近しいものがあります。こういうことが常態化すると、現場には「どんなに厳しいルールでもゴリ押しすれば何とかなる」という風潮が漂うようになり、そのうちルールを軽視して、相談をせずにルールを破る人も出てきます。ルールの厳格さが希薄化し、知らず知らずのうちに、ルールを破ることに対するハードルが下がっているのです。

 

 以上を踏まえ、厳格な自主的ルールを定めることは、単に従業員からの反作用を生むにとどまらず、その次のルール(本来遵守しなければならないルール)まで危険に晒しているのではないかというのが私の意見です。

 

まとめ

 神戸製鋼の報告書によると、厳しい社内規格を設けた理由について、「より厳しい社内規格を設ければ、事前に工場の工程能力の不足に気づき、それを是正すれば顧客への不良品の流出を防げるとの考えで導入されたものである」と述べられており、言わんとしていることは凄くよく分かります。

 ただ、法令や契約上の仕様よりも基準を厳格にするなら、それ相応の合理性が必要ですし、全ての従業員を納得させるのは無理でしょう。上記のとおり、弊害の方が大きいと思われます。神戸製鋼の事案を見ていますと、そんなことにも気づかされます。

神戸製鋼所「原因究明と再発防止策に関する報告書」について

 少し遅れましたが、神戸製鋼の報告書を読んだ感想を書き留めておこうと思います。

 なお、報告書は こちら から閲覧できます。

 

 

神鋼は不適切行為の原因をどう分析したか。

 報告書によると、今回の不適切行為の原因は、次の5点にあるとまとめられています。

(1)収益評価に偏った経営と閉鎖的な組織風土
(2)バランスを欠いた工場運営
(3)不適切行為を招く不十分な品質管理手続き
(4)契約に定められた仕様の遵守に対する意識の低下
(5)不十分な組織体制

 

 これらの見出しだけを見ていると、企業不祥事が起こるメカニズム・原因には、ある種の普遍性のようなものを感じます。収益を追求する偏向経営、上層部に意見できない風通しの悪い企業風土、下部組織への権限移譲・裁量権肥大による監視機能の不全、独自の社内ルールの横行、経営上層部と現場との間の問題意識の剥離、長期にわたる不適切行為の継続による遵法意識の低下など。

 以下、原因項目について抜粋しながら目を通していきたいと思います。

 

収益評価に偏った経営と閉鎖的な組織風土

 神戸製鋼は、収益重視の評価を推し進め、経営のスピードと効率化を図るために下位組織に権限を委譲し、その結果、各組織での自己統制力に依存する状況となったと分析したうえで、次のように続けます。

本社経営部門による事業部門への統制が、収益評価に偏っていたことから、経営として工場において収益が上がっている限りは、品質管理について不適切な行為が行われているような状況にあるか否か等、工場での生産活動に伴い生じる諸問題を把握しようという姿勢が不十分であった。
この経営管理構造が、「工場で起きている問題」について現場が声を上げられない、声を上げても仕方ないという閉鎖的な組織風土を生んだ主要因と認識する。

 

 ここで言わんとしていることは分かりますが、収益が上がっている限り、現場での諸問題を把握しようとしない経営陣の姿勢が、批判的意見を封殺する閉鎖的な組織風土を生んだというより、そのような消極的な姿勢が、不適切行為の常態化を招く湿度の高い環境造成に繋がってしまったと言う方が適切のような気がします。「閉鎖的な組織(人の固定化)」という項目(13頁)においても同様の趣旨のことを述べているように思うのですが、どうなんでしょうか。

 批判的意見・内部告発を封殺するような動きがあったのであれば、自浄作用の機能不全という別の問題になると思いますが、2003年にコンプライアンス委員会が設置され、内部通報制度が導入されているものの、この点については、「品質に関しては過去大きく問題になった不適切事案の再発防止を念頭に注力してきており、今回の問題のような顧客仕様遵守に力を割いてこなかった側面があることも否定できない(15頁)」と述べるにとどまっています。

 

契約に定められた仕様の遵守に対する意識の低下

 ここでは、要求品質よりも顧客満足度、すなわち生産量や納期が優先されるようになり、顧客との深い関係性の中で生じた従業員の意識の変化について触れられています。

担当者の中には製品が顧客仕様に適合するか否かではなく、顧客からのクレームを受けるかどうかが重要であるという考えに変質していった者もいた。そのような者が検査項目と工程能力を総合的に考慮しながらクレームを受けない範囲で改ざんを行って業務を進めていたと推察される。

(太字は筆者によるもの)

 

 これはどの企業でも当てはまる問題で、たとえ監視機能が不全に陥っていなかったとしても、担当者が、企業と顧客の双方にとってwin-winとなるような最適解を見つけようとした結果、法令や社内ルールとは異なる独自の基準が生まれることもあります。

 あとで、このような問題が発覚し、担当者にヒアリングをすると、本人に全く悪気はなく、むしろそれが正規のルールだと認識していた社員もいます。要するに、神戸製鋼で常態化していた独自ルールの構築というのは、ルールを破る積極的動機がなく、遵法意識が低下していない状況下においても起こるものであり、このような些細な従業員の意識の変化に対し、管理部門は恒常的に注意を払う必要があります。

 神戸製鋼では、そのような独自ルールに基づく不適切行為が継続・常態化していったとのことですが、この点を早期に発見できなかったことは、コーポレートガバナンスの観点から見たときに致命的でしたね。

 

不十分な組織体制

 高度の専門性ゆえに各事業所の裁量が大きいことなどが理由でしょうか。品質管理が十分に行き届いていなかったどころか、「アルミ・銅事業部門の直轄組織である企画管理部、技術部には品質監査機能は無きに等しい状況」だったと述べられています。また、「品質保証や品質管理に係わる教育も体系化されておらず社内研修も不徹底であり、意識改革が図られることがなかった」と、かなり自省の念を込めた分析をしています(15頁)。

 ただ、「コンプライアンス機能の逐次強化を図ってきた」とはいうものの、倫理相談室やコンプライアンス委員会の具体的な施策内容については触れられておらず、相談件数などについても開示されていません。また、2010年に設置された「ものづくり推進部」について、品質監査機能の設置が見送られた理由も不明確であり、再発防止策として、品質保証部・品質監査部を設置することにより、過去の不透明な部分については蓋をするという印象も受けます。

 

再発防止策について

 最後に、再発防止策について少しだけ触れます。

 私が気になったのは、「言いたいことが言い合える活気ある職場風土づくり」という部分。これ、どの企業もやろうとしてなかなか出来ないんですよね。

 

「なんでも言い合える、耳に痛いことも言える」風土を築く。

職場単位での本音で意見が言い合える場や、工場トップと職場の階層別の対話の場を設け、風通しの良い職場づくりを進める。

 

 凄く大事なことですが、経営上層部や現場責任者とコミュニケーションをとる場を設けるだけではダメだと思います。経営者と従業員の距離が近いから「風通しが良い」と言うなら、毎日社長と従業員が顔を合わせる中小企業は全て風通しが良いことになりますけど、決してそんなことはなく、物理的距離なんて関係ないんですよ。

 神戸製鋼の場合、品質検査フローの見直しなど、他にも取り組まなければならない課題が山積していますが、是非組織として生まれ変わって欲しいと願います。

インターネット上のダフ屋行為の規制について

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 ヤフオクが、転売目的で入手されたチケットを出品禁止とするガイドライン改訂を行いましたが、ネット界隈では、様々な反応がありますね。「転売目的かどうかなんて、どうやって判断するんだ?」など。

 当該ガイドラインには、「転売する目的で入手したと当社が判断する」とあるので、ヤフーさんのさじ加減で決まるのでしょう(チケットの出品回数・頻度など、何かしら基準はあると思いますが)。

 

 チケットの高額転売の主戦場となっていたヤフオクにおいて、このような規制がなされたことにより、今後より一層インターネット上でのダフ屋行為に対する議論は熱を帯びていくと予想しますが、これについては周知のとおり様々な問題があります。

 なお、本記事において「ネットダフ屋行為」とは、インターネット上において、最初から転売する目的でチケットを購入する行為や、そのようなチケットを高額で転売する行為のことを指します。

 

 

ネットダフ屋行為を法的に規制できるか?

 私は、ネットダフ屋行為について、抜本的な解決策は法規制を及ぼす以外にないと思っていますが、そのような法規制を本当に実現できるかは疑問です。

 最初から転売目的で購入することも、それを転売することも、自由経済社会においては私人の自由であり、ネットダフ屋行為のみを規制する合理性が見当たらないからです。リアルダフ屋の場合は、つきまとい行為や購入強要行為を伴うため、公衆の安心・安全の保護という理由をこじつけることも可能ですが、ネットダフ屋行為にこの理は通じないでしょう。

 

 ただし、下記gktojoさんがご紹介されているイギリスの「Consumer Rights Act 2015」のように、チケットの転売時において情報提供義務を課すといった規制は、日本でもあり得るとは思いますが。。

gktojo.hatenablog.com

 

 結局のところ、当面は、ヤフオクのように、セカンダリマーケットが自主的な規制を行うか、販売者側が転売ヤーを排除するための方策を検討するなどして、チケット転売問題と向き合っていくしかないのだと思います。

 

経済学者や経済ジャーナリストの視点

 経済学者や経済ジャーナリストは、どちらかと言うと、ネットダフ屋行為の規制や取締りに批判的な記事を書かれたりしています。ツッコミどころは満載なんですけどね。例えば、筈井さんという経済ジャーナリストが執筆された記事がこちら。

news.infoseek.co.jp

 この中で、大阪大学の大竹文雄教授の見解に言及し、大竹教授は、抽選制度の場合だと、抽選に外れた熱烈なファンは、転売ヤーからコンサートチケットを入手する便益を受けることができるといった点で、転売ヤーの存在意義を認め、

 

「アーティストにとっても、大したファンでもないのに、偶然チケットの抽選に当たった人たちがコンサート会場に交ざっているよりも、熱烈なファンでコンサート会場が埋め尽くされている方がうれしいのではないだろうか」

 と主張。これに対し、筈井さんは「この指摘は正しい」と無条件で認めていますが、え?そうなんですか?抽選って、ファンクラブなどに入会されている方の中から選ばれるんですよね?「大したファンでもない」人が、「偶然チケットの抽選に当た」るという想定自体がおかしくないですかね?

 

 また、↓こちらの記事では、「チケット転売は、経済学的にはOK」と主張。

gendai.ismedia.jp

 そもそも、主催者側がチケットの市場価値をはき違えているのが原因であると指摘。チケット販売をオークション方式にすれば、転売しようとする人の利ざやをゼロに収束させることができ、定価販売よりはるかに転売目的の人の排除につながるとしています。

 確かに、これは経済学的には正しいんでしょう。定価の何倍もの価格で転売しても、取引が成立してしまうから転売ヤーが暗躍するのであって、完全競売方式にすれば、最初からチケット価格が吊り上がり、転売ヤーにとってチケットを転売する旨味はなくなります。

 

 しかし、オークション方式で得をするのは、主催者とお金持ちのファンだけであり、金銭的に裕福ではないファンや、もっと色んな層のファンに来て欲しいと願うアーティストなどにとってはデメリットしかないですね。

 ちなみに余談ですが、ビリー・ジョエルは、自身のライブの最前列には気取ったお金持ちしか来ず、本当に来て欲しいと願う熱狂的なファンが最後列に追いやられていることに気づき、最前列のチケットの販売をやめ、これを最後列のファンに配布するという男前な行動をとっています。

www.billboard.com

 

オリラジあっちゃんの構想

 そんなこんなで、電子チケットの発行、顔認証システムの導入、主催者側による公式二次流通サイトの形成など、ネットダフ屋行為を排除するための方策が取り入れられていますが、個人的に面白いと思ったのは、オリラジ・中田さんが発案した「ジャスト・キャパシティ・システム」。

lineblog.me

 さすがあっちゃん。チケット転売における問題の本質を論理的に分析したうえで、この方法を考案されています。

 簡単にまとめると、①複数の会場を仮押さえた状態で、チケットの販売上限数を決めずに、とりあえず販売開始→②チケットの売れ行きから観客数を予測して会場を本決定→③実際に売れた数に応じて、座席数を決定…という流れ。これならチケットが売り切れることもないし、全員定価でチケットを入手できるので、チケットの転売が成立しません。転売ヤーさん、残念!ってわけですね。

 

 ただ、中田さん自身が認めているとおり、このジャスト・キャパシティ・システムが通用するのは、規模の小さいライブだけであり、1回で何万人も集まる超人気アーティストのライブやコンサートでの導入は無理でしょうね。。

 

個人的に思うこと

 ネットダフ屋行為は、随分と昔から問題視されており、昨年にはアーティストたちがチケットの高額転売に反対する声明を出しましたが、このようなタイミングでヤフオクがガイドラインを改訂したのは、音楽業界全体でライブ興行の市場規模が拡大していることが大きく関係していると思われます。

この10年で市場は3倍、好調なライブビジネスの影に隠れた本質的な課題<エンタメ×ITの未来>まつだかついちろう - 幻冬舎plus

 

 CDは売れないかわりに、ライブは順調。そうなると、ますます転売ヤーの暗躍が懸念されますが、ライブ興行市場を拡大していくためには、転売ヤーの存在は邪魔でしかありません。主催者側には一銭も転売益は入らず、大切なお客様であるファンのお財布にも限界があるからです。

 ヤフオクは、チケット転売によって得をする側ですが、音楽業界から相当な圧力が掛かっていたのではないかと想像します。ヤフオク自体が「転売をする場所」であり、転売目的を否定することは、自分たちのビジネスを否定しているに等しく、今回の改訂はそういう時勢に逆らえなかった末の苦渋の決断と考えるのが自然です。

 ネットダフ屋行為に対する今後の法規制や業界の動向に注目していきたいと思います。

就活学生が見るべき企業のコンプライアンス上のポイント

学生_就職活動

 現在、BIZLAWの連載企画として、株式会社リクルートキャリア(就職みらい研究所所長)の岡崎さんによる「今、学生が仕事を選ぶ目 企業を見抜く目」という、学生と企業とのマッチングやコミュニケーション関連の記事が掲載されていますが、日々バックオフィス業務に従事している法務担当者という立場から、就活をしている学生が見るべき・聞くべきポイントをいくつか書いてみたいと思います。

 

 

はじめに

 まず、私は、大学卒業後、そのままロースクールに進学し、ロースクール修了後も司法浪人をしていたため、新卒で就職した経験がありません。学生時代に就職活動をしたこともないです。1社目の就職は第二新卒という扱いでしたし、2社目の転職は中途キャリア採用でした。ですので、学生の就職活動の苦労を100%理解しているかと言われると、そうとは言えません。

 ただ、人事・労務と法務の業務が重なる領域については、人事部門と密に連携を取りますし、採用活動に関する相談を受けることもあります。また、管理職や役員向けのコンプライアンス研修なども行っているので、このレイヤーにいる経営上層部のコンプライアンス意識なども(それなりに)把握しているつもりです。

 

 そのような経験を通して、私自身、ブラック企業かどうか、又はコンプライアンスを重視する誠実な企業なのかどうかを見極めたいのであれば、会社のこういう部分を見たらいいんじゃないかという提案として本記事を書いてみます。

 なお、本記事で言及したことを確認したからといって、その企業のコンプライアンスが全て分かるというわけではありませんが、何かしらの参考になれば幸いです。

 

「企業名+ブラック」で検索した情報について

 これは岡崎さんもおっしゃっていますが、「企業名+ブラック」で検索し、そのような口コミ情報がヒットしたからと言って、即ブラック企業と認定するのはナンセンスです。

 と言いますのも、どのような企業であっても、必ずミスマッチを起こす人材や不満を抱えている社員というのは存在します(もし、そんな社員が1人もいないという一定規模以上の会社があるのであれば教えて欲しいです)。

 

 すると、そのような社員が、転職会議などの口コミサイトに不満を書き込むこともあり、そのようなネガティブオピニオンがどうしても目立ってしまうのです。もしかしたら、不満を抱えているのは、ごく一部の社員だけで、残りの社員は全員満足しているというケースだって考えられます。それなのに、一部の意見だけで判断するなんて実に勿体無い。

 また、記事中にもありますが、過去に法令違反を起こした会社であっても、経営陣がそのことを猛烈に反省し、コンプライアンスを強化して企業体質をガラッと変えたという例もあります。私の知っている会社の中には、始業の1時間前の出社を義務付け、毎日の朝礼で社訓を大声で張り上げるという、絵に描いたような体育会系の会社がありましたが、新社長に交代してから、古い伝統を全て捨て去り、「始業時間までに出社すればOK」「朝礼なし(やっても意味ない)」「飛び込み営業は効率悪いので廃止」「10時以降の残業禁止」「無意味に怒鳴るマネージャーは無能の烙印を押す」と、社内ルールを次々と変えた会社もあります。

 

 もちろん「企業名+ブラック」で検索しても良いと思いますが、ネガティブな情報が出てきたとしても、参考程度にとどめるか、その部分について事実調査をするのが吉だと思います。岡崎さんも上記記事の中で、次のように指摘されており、正鵠を得ていると思いますね。

今、企業選びで大事なのは「悪い事実があるか・ないか」ではなく、それを「改善しているのか、それとも放置しているのか」という事後対応を調査することです。企業側としても、この部分をおろそかにしている企業はますます厳しい状況に置かれていくと思います。

 

確認すべきポイントは〇〇〇

 なかなか管理職や役員クラスの面接官に対し、突っ込んだ質問はしにくいかもしれませんが、一番意味がないのは「コンプライアンスについてどのようにお考えですか?」「どのようなコンプライアンス施策を行っていますか?」という抽象的・ありきたりな質問です。

 こんな質問をしても、「弊社では、定期的にコンプライアンス研修を行い~」「セクハラ・パワハラの相談窓口や内部通報窓口を設置して~」と、テンプレ回答が返ってきて終わりです。双方にとって何も得られるものがありません。

 

大企業の役員には組織体制の詳細を聞こう。

 会社法は、一定の企業に対し、内部統制システムの構築義務を課しており(会社法362条5項、348条4項など)、もし内部統制システムの構築義務を負っている企業を受けるのであれば、役員に対して、内部統制システムにおける「業務の適正を確保するための体制」について質問するのが良いと思います(詳細については、IR情報の株主総会の招集通知や決算報告書などに記載されているので、事前に確認しておきましょう)。

 何故なら、企業風土として、コンプライアンスを根付かせるためには、その前提として、組織の体制作りが不可欠であり、このことをちゃんと理解しているコンプライアンス意識の高い会社は、表面的なコンプライアンス施策だけではなく、組織の構造的な問題もしっかりと考えているはずだからです。逆に言えば、その部分を聞かなければ、コンプライアンスを重視している会社かどうかなんて分かりません。

 

 そして、「業務の適正を確保するための体制」の中には、法令遵守体制などが必ずと言っていいほど記載されています。書かれていることはテンプレ文言だったり、それぞれの企業のカラーが出ていたりと様々ですが、「内部監査部門による事業活動の適法性・妥当性監査に関して、取締役会や代表取締役への報告体制や報告頻度について教えてください」とか、「社外監査役による会計監査は、監査法人とどれぐらい連携して行っているんですか?」とか、「海外子会社のコンプライアンス体制について、どのようなフローで統制しているんですか?」とか、深く突っ込んで聞いてみてください。

 中には、ここらへんを全て管理部門に任せきりで、ほとんど把握していない役員がいるかもしれませんが、言葉を濁したり、「生意気な学生だな」と不機嫌になるようだったら警戒して良いかもしれません。逆に、答えられる範囲でしっかりと回答したり、分からなかったとしても、「ちゃんと確認してから回答する」という対応をするなら、コンプライアンス意識のある誠実な役員だと思いますし、そういう役員がタクトを振る企業であるならば、コンプライアンスが根付いているのではないかとの推測が働きます。

 

中小企業の経営者や管理職にはビジョンを聞こう。

 他方、内部統制システムの構築義務を課せられていない会社や、そこまで規模が大きくない会社を受けるのであれば、経営者に対し、コンプライアンスを重視する企業風土を確立・強化するためにどのような構想をお持ちなのかを聞いてみてください。企業規模にかかわらず、管理職に対しても、同様の趣旨で、どのような視点を持っているのかを聞くのが良いと思います。

 ただ、このフェーズにある企業の経営者や、全社的な意思決定を行う立場にない管理職に対し、完璧を求めることは酷です。岡崎さんも下記のようにおっしゃっていますが、これもまさにその通りで、法的知識があるかどうか、現に法令を遵守しているのかどうかを確認しても、デメリットの方が大きいと思います。

法律を盾にしてコミュニケーションに挑むと、会話が成立しないこともあります。法令を守るべきというのはその通りですが、法律も日々変わる中で、中小企業は法改正情報をキャッチアップ中ということもあります。査察に行くわけではないので、あまりデジタルに「これは×ですね」という会話をすると、相手は心を閉ざしてしまう可能性もあり、本来得たかったはずの「相手の深層を知る」こととは矛盾したコミュニケーションになってしまいます。

 

  あくまでも、コンプライアンスに関する将来的なビジョンを持っているか否か、持っているとして、それはどのようなビジョンかを聞く。理論武装をして質問をしていると、粗ばかりが目立って、相手の良さが見えてこないおそれがあります。ただ、あまりにちゃらんぽらんな答えが返ってきたり、何も考えていないことが透けて見えてしまった場合は、その直感を信じてもいいかもしれませんね。

 

大切なのは「答え」を持っていることではなく「問題意識」を持っていること。

 私は、コンプライアンス研修をしていて、「答え」を提示しているつもりはありませんし、「答え」を持ち帰って貰おうとも思っていません。白・黒のいずれにも解釈できる法的問題なんて、この世にはたくさんあるからです。また、無理にでも「答えらしきもの」を押し付けようとすると、物凄く退屈な研修会になって、あくびといびきが会議室に鳴り響きます。

 敢えて持ち帰って欲しいものがあるとすれば、それは「問題意識」です。コンプライアンス経営を実現するための正解なんてないし、大切なのは、日々そういった問題意識を持ち、組織を改革しようとしているかどうかです。管理職向けの研修会をやった後、わざわざ質問しに来て下さるような管理職の方は、問題意識をちゃんと日常業務に持ち帰っているし、ちゃんと社内ルールも守られています。

 

 あれこれ書いてきましたが、学生の就活生は、企業を見る際、コンプライアンスに関する「答え」を持っているかどうかを確認するのではなく、「問題意識」を持っているかどうかを確認すべきだと思いますね。結局のところ、私が言いたいことはコレに尽きます。

 そして、その問題意識が、自分の感覚と合っているかどうかを基準としてみてはどうかと思います。問題意識が合致している企業であれば、ミスマッチは防げるのではなかろうかと。そのためには、まず学生自身がしっかりと学ぶことが前提となることは間違いないですが、行き着く先は、企業と学生の双方が、問題意識を共有できるかどうかだと思います。

書籍レビュー(10)「体系アメリカ契約法」

書籍レビュー_体系アメリカ契約法

 今回ご紹介する平野先生の「体系アメリカ契約法」は、英文契約のドラフティング前に読む本としては超有名であり、アメリカ契約法のコンセプトを理解することを目的として執筆されています。ご存知の方は既にお持ちかと思います。

 ちなみに、「アメリカ企業はおろか、コモンローの国との取引(契約)すらない」という方は、本著を読む必要はないと思いますし、「アメリカ契約法の仕組みをちょっと知っておきたい」という場合は、樋口先生の「アメリカ契約法」の方が入門書としてはオススメです。また、アビタスなどで、既に米BarExam対策用のテキスト等をお持ちの方は、わざわざ本著を買い足す必要もないと思います(内容としては重複してます)。

 

 英文契約のドラフティングに関する書籍って、世の中に数多ありますよね。「英文契約の◯◯◯」とか言って。こういう類いの本って、大抵の場合、コモンローをベースにしてるんですが、コモンローとかアメリカ法をベースにしてるということをさらっと流して書いていたり(当たり前だろというスタンスで)、内容としてはとっっても薄かったりします。

 そのため、そういう本に書かれていることが、コモンロー以外の国との間で締結する契約にも通用するとの誤解を与えたり、内容としても疑問を完全に払拭できるわけではないので、余計な混乱を招く要因にもなります。平野先生も、別著「国際契約の<起案学>」において、「最近、英文契約のドラフティングに関する薄っぺらなノウハウ本が溢れている」と指摘されています。

 

 じゃあ、例えば、英文契約の背景にあるアメリカ法の学術面を勉強したいと思って、ヒルマンとか、コービンとか、ファーンスワースの本を読もうにも、内容が難解であるうえに英語で書かれているし、そもそも日本ではかなり入手困難で、「Corbin on Cobtracts」とか2,000ドルもするんですよ?ムリムリ(笑)

 そんな状況の中、平野先生が一肌脱いで、邦語でアメリカ契約法を解説したのが本著というわけです。私が知る限り、日本語で執筆されたアメリカ契約法の本の中で一番詳しいです。中途半端なノウハウ本を読むより、まずは本著を読むことを強くオススメします

 

 本著は、冒頭において、アメリカ社会における契約の意義や法源、アメリカ契約法の歴史等について触れた後、契約の成立、救済、法的拘束力、第三者の権利義務の移転、保証責任と続いていきます。全部で600ページほどあります。

 いずれの章も読み応え十分ですが、特に、契約の成立における「取引の交換(bargained-for exchange)」や「約因(consideration)」の考え方、コモンロー・衡平法・不法行為法上の救済、錯誤・詐欺防止法による契約者保護、契約の解釈、口頭証拠排除準則、実質的な履行と重大な違反、保証責任など、日本の民法には存在しない法概念や法制度については、読んでいて勉強になることばかり。初めて大学の講義で民法を学んだときのような新鮮な気持ちになりますね。

 

 また、単に学術面の解説をして終わりというわけではなく、英文契約の起案上の注意点などにも言及されているため、「あー、だから英文契約ではこういう表現を使うのか!」と、納得しながら読みすすめて行くことができます。

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 さらに、参照・引用している文献の数が尋常じゃない。これだけの法律の洋書を読み込むって、途中で心折れなかったんですかね。。私だったら確実に英語が嫌いになると思います…(笑)

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 というわけで、今回、平野先生の「体系アメリカ契約法」をご紹介しましたが、本著を読まれたあと、英文契約のドラフティングに関する別著「国際契約の<起案学>」を読むことにより、さらに理解が深まって効果倍増です。こちらもオススメです(機会がありましたら、こちらの書籍についても詳しくご紹介します)。

 

株式会社リグシーの笹原さんにお会いしてきました(+α)

株式会社リグシー_笹原さん

 

 以前、リーガルテック関連の記事として、↑このような拙い記事を書きましたところ、リグシーの笹原さんより直接ブログにお問い合わせを頂戴し、昨日お会いしてきました!

 なお、「Holmesの綴りが間違っていますよ笑」とのご指摘を受け、速攻で修正しました。大変失礼しました(^_^;)

 

 「ブログで記事に書いて頂いても大丈夫ですよー」とご快諾を頂けたのですが、いざ記事を書いてみようと思うと難しいですね。。「お会いして色々お話を聞くことができました」と書くだけでは面白みがないし、深く書こうにもどこまで書いていいのか分からない(笑)

 

 そこで、今回笹原さんとお話させて頂いた中で出てきた話題を「補完する」という趣旨でちょっと書いてみたいと思います。

 

SNSじゃなくてブログを書く理由

 今回、笹原さんより「Facebookで(記事を)書かないんですか?」と質問をお受けしたのですが、SNSで書かない理由をより詳しくまとめると以下のような感じでしょうか。

 

 勝手なイメージですよ?

 Facebookは「セレブが集まる社交パーティ」、Twitterは「ガヤガヤした居酒屋」、Instagramは「写真展覧会」。ちょっと語弊があるかもしれないですが、こういうイメージです。片や、ブログ界隈は「本屋」。ブログをやっている人が、SNSでブログや記事を拡散するのは、例えるならば、上記のような人が集まる場所に行って、「こういう本を書いたので、読んでみませんか?」と宣伝するようなものです。

 もし、これらのSNSでブログ記事のようなものを書くとなると、みんなが楽しく歓談している中で、いきなり講演やスピーチを始めるのと同じです。聞いてくれる人もいるかもしれないですが、参加者の属性はそれぞれ異なるので、当然ノイズに感じる人もいます。「うわぁ、、あの人なんか必死に話してるよ…」という冷たい視線が降り注ぐ中、講演を続けるだけのメンタルは自分にはありません(笑)

 

 本屋に執筆した本を置いておいて、「自由に読んでください」という方が自分にとってやりやすいので、ブログを書いてます。興味を持ってくれた人が、上記の人が集まるところに行って、自分の本を紹介して頂けたらめちゃくちゃ嬉しいですが、それはあくまでも結果論ですね。

 

管理部門の既得権益について

 リーガルテックの推進が進むと、例えば、これまで3人のマンパワーが必要だった業務が、1人で済むようになったりして、管理部門がスリム化される。そうすると、特に大企業なんかでは反発作用が生まれるのではないですか?という、既得権益やセクショナリズムの問題に言及したのですが、どの企業も契約書の締結承認フローや管理に悲鳴を挙げているのが現状であり、業務を合理化したい→けど、チェンジングコストがかかる…という問題の方が大きいというのは、お聞きしていて「あー、それはどの会社さんも同じなのか」と思いました。

 リーガルテックを導入してみたところで、自社環境に合わなければ、そのまま使われずに廃れていくし、そもそも合うかどうかも分からないのに、セクショナリズムも何もないですよね。

 

契約書の共同編集機能について

 笹原さんのおっしゃるとおり、契約書の共同編集は現実的に難しい部分があるんだろうなーと思います。承認フロー的にもその場で最終条項案を示せないことがほとんどで、現状としては、Wordファイルの交換などで、コメントの往来をするところに落ち着いています。

 他方、私は、日本人って、契約書の交渉を「喧嘩」とか「紛争」だとか、本来避けるべきものと認識している傾向があるんじゃないかと日々感じていまして、こういう認識も変わっていかなければならないものなんじゃないかという思いがあります。

 

dotplace.jp

 はっしーさんのブログの中で紹介されている↑こちらの記事を読ませて頂いたのですが、この中に、凄く共感できる一文があります。

契約書の大きな特徴の一つは、一方当事者だけでなく、契約当事者双方によって編集されていくことである。「契約書の文言って修正できるんですね! 一方的に提示されてそれにサインするものだと思っていました」と言う方に出会うこともあるが、契約書は契約当事者の合意内容を実現するためのコミュニケーション・ツールと捉えるのが正しい。契約当事者双方で修正を繰り返すと、Wordのコメント機能や削除履歴上で、契約当事者間の利害対立がアツいバトルとなって表れることも少なくない。だが、そのようなやり取りも、契約当事者双方が契約の目的にしたがって「あるべき形」に向かって編集を重ねていく共同作業と考えたほうがポジティブであるし、はるかに生産的であろう。

 

 まさにこれです。お互いの利害が対立している状況において、背後に色々な思惑があって、時にそれがバチバチ火花を散らすこともありますが、「これからビジネスをやるにあたって、お互い気持ちよく取引しましょう」「そのために契約を結びましょう」というゴールは同じはずです。あとは、「共同でエディションする」という視点があるかないか。最終意思決定の前に、そういう距離感を縮めるツールはあっても良いのではないかと思います。

 あと、その話に通じるところでもあるんですが、法務部門はブラックボックス化し過ぎています。私は、契約交渉をするにあたって、先方の営業担当者の方に「法務と直接話をさせてください」とお願いすることもあるのですが、これが受け入れられたことはないですね。商談や直接交渉の場に法務が出てこない方が良いというスタンスの会社さんもあると思いますが、私の経験上、心の通っていない交渉は得てして難航します。向こうの真意が分からないので、それを引き出すにも時間が無駄に掛かるのです。すんごい効率の悪いことしてるなぁ…と。

 別に喧嘩しているわけじゃないし、かと言って馴れ合うわけでもない。ビジネス上の信頼関係を築いて、一緒に良い作品(契約)を作りましょうというコンセンサスを形成する段階を経た方が、実は、長い目で見たときに、契約交渉はスムーズになるのではないかなーと思ったりしています。

 

リーガルテックの未来について

 ROSSが、ロースクール卒業生レベルのメモランダムだったら作れるという話を聞き、そういうAI技術が進歩していったら、最終的にはパラダイムシフトが起こり、全部AIがやってくれるようになるんだろうなーと思って、安直に答えましたが、正直なところ、短期的な未来は全然分かりません(^_^;)

 

 私の会社でも、やっと契約の承認フローや管理方法を見直し始めたところで、リーガルテックが、どのようなベネフィットをもたらしてくれるのか、検証する段階にすらないのですが、少なくとも契約回りについては、確実に変わると思います。

 あとは、法務に限った話じゃないですけどボーダーレス化。これは社内の部署間という意味だけでなく、会社間の垣根や国境も含めて。それこそオープンソースのように、契約書の雛形やノウハウなどが広く共有され、他国の弁護士とも簡単に繋がれるような法社会は実現するんじゃないか…といいますか、実現して欲しいと願っています。

 

最後に

 株式会社リグシーの笹原様。お声がけ頂きましたこと、改めて感謝申し上げます。本当にありがとうございました!私自身、学ばせて頂くことがたくさんあり、非常に実のある1日となりました。また機会がございましたらご一緒させてください。

 といったところで、今回の記事を締めくくらせて頂きたいと思います。それでは!

リーチサイト運営者逮捕に見るリンク行為の違法性について

リーチサイト_リンク行為_著作権侵害

 「ONE PIECE」などの漫画が違法にアップロードされているウェブサイトへのリンク先を紹介するリーチサイト「はるか夢の址」を運営している元大学院生らが逮捕されるという報道がありました。

www.huffingtonpost.jp

 このサイト、めちゃくちゃ有名でして、私もサイトの利用規約やポリシーを読んだことがあります。こういうリーチサイトやまとめサイトって、「著作権を侵害する意図はございません」とか、「もし問題がございましたら、削除対応致しますのでお問い合わせください」といった注意書きが付されていることがほとんど。

 ですが、少なくとも私が当該サイトを訪問した際は、そういった文言は見当たらず、むしろサイトのポリシーとして、「良いコンテンツを世に広める」云々と、著作権侵害を助長するかのような説明書きがなされていたように記憶しています。

 

 

リンクを張る行為の違法性

 事案は異なりますが、リンクを張る行為の違法性が争われたものとして、大阪地判平成25年6月20日があります。

 この事件は、被告が、自身の運営するウェブサイト(ロケットニュース24)において、「ニコニコ動画」上にアップロードされた原告の動画に付されていた引用タグ又はURLを、ロケットニュース24の編集画面に入力し、記事の上部にある動画再生ボタンをクリックすると、ロケットニュース24上で原告の動画を視聴できる状態にしたことが、原告の著作権侵害に当たるのではないかと争われた有名な判例です。

 

公衆送信権の侵害

 まず、公衆送信権の侵害について、大阪地判は次のように判示しています。

被告は,「ニコニコ動画」にアップロードされていた本件動画の引用タグ又はURLを本件ウェブサイトの編集画面に入力することで,本件動画へのリンクを貼ったにとどまる。この場合,本件動画のデータは,本件ウェブサイトのサーバに保存されたわけではなく,本件ウェブサイトの閲覧者が,本件記事の上部にある動画再生ボタンをクリックした場合も,本件ウェブサイトのサーバを経ずに,「ニコニコ動画」のサーバから,直接閲覧者へ送信されたものといえる。
すなわち,閲覧者の端末上では,リンク元である本件ウェブサイト上で本件動画を視聴できる状態に置かれていたとはいえ,本件動画のデータを端末に送信する主体はあくまで「ニコニコ動画」の管理者であり,被告がこれを送信していたわけではない。したがって,本件ウェブサイトを運営管理する被告が,本件動画を「自動公衆送信」をした(法2条1項9号の4),あるいはその準備段階の行為である「送信可能化」(法2条1項9号の5)をしたとは認められない。

(下線は筆者によるもの)

 これは著作権法上も通説的見解であり、自社サーバーに保存せずに、画像や動画の掲載元サイトにリンクを張る行為は、著作権侵害には当たらないとされています。

 ただですね。業界的に「直リンクだったらOK」という決して正しくはない認識が広まっているように思います。DeNAのキュレーション問題でも、画像の掲載方式について、経営陣及び法務部は、直リンク方式にすれば著作権侵害を回避できるという認識を抱いていたようにお見受けしますが、これは軽率だったと思います。

 

 例えば、経済産業省の電子商取引等に関する準則によりますと、「インターネット上において、会員等に限定することなく、無償で公開した情報を第三者が利用することは、著作権等の権利の侵害にならない限り、原則、自由であるが、リンク先の情報をⅰ)不正に自らの利益を図る目的により利用した場合、又はⅱ)リンク先に損害を加える目的により利用した場合など特段の事情のある場合に、不法行為責任が問われる可能性がある。」と、一般不法行為責任が成立する余地のあることを示唆しています(140頁)。

 また、著作権侵害の点についても、「リンク態様が複雑化している今日、ウェブサイトの運営者にとっては、ウェブサイトを閲覧するユーザーから見てどのように映るかという観点からすれば望ましくない態様でリンクを張られる場合があり、例えば、ユーザーのコンピュータでの表示態様が、リンク先のウェブページ又はその他著作物であるにもかかわらずリンク元のウェブページ又はその他著作物であるかのような態様であるような場合には、著作者人格権侵害等の著作権法上の問題が生じる可能性があるとも考えられる。さらに、そのようなリンク態様において著作者の名誉声望が害されるような場合には、著作者人格権の侵害(著作権法第113条第6項)となる可能性もあるであろう。」と指摘しています(146頁)。

 

幇助による不法行為の成否

 上記判例は更に踏み込んで、直接的に公衆送信権を侵害していなくても、リンクを張る行為が、公衆送信権侵行為の幇助による不法行為に当たるのではないかという点についても、次のように判示しています。

「ニコニコ動画」にアップロードされていた本件動画は,著作権者の明示又は黙示の許諾なしにアップロードされていることが,その内容や体裁上明らかではない著作物であり,少なくとも,このような著作物にリンクを貼ることが直ちに違法になるとは言い難い。そして,被告は,前記判断の基礎となる事実記載のとおり,本件ウェブサイト上で本件動画を視聴可能としたことにつき,原告から抗議を受けた時点,すなわち,「ニコニコ動画」への本件動画のアップロードが著作権者である原告の許諾なしに行われたことを認識し得た時点で直ちに本件動画へのリンクを削除している
このような事情に照らせば,被告が本件ウェブサイト上で本件動画へリンクを貼ったことは,原告の著作権を侵害するものとはいえないし,第三者による著作権侵害につき,これを違法に幇助したものでもなく,故意又は過失があったともいえないから,不法行為は成立しない。

 ここで、考慮された事情は2つ。一つは、本件動画が、著作権者の明示又は黙示の許諾なしにアップロードされていることが、その内容や体裁上明らかではない著作物だったという点。もう一つは、原告から抗議を受けた時点でリンクを削除しているという点です。

 このような事情を考慮し、被告には、著作権侵害及び幇助の故意・過失はなかったと認定しているわけですね。「はるか夢の址」では、リンク先サイトにアップロードされている著作物は、著作権者の許諾なしにアップロードされていることが明らかであり、私の記憶では、「削除依頼フォーム」なども設置されていなかったように思うので、上記判例に照らすと、著作権侵害の幇助が認定されてもおかしくないとケースと言えます。

 

 なお、福井健策編著「インターネットビジネスの著作権のルール」には、

リーチサイトは、それ自体にファイルが違法にアップロードされているわけではないものの、ユーザーはリーチサイトに掲載されているリンクを通じて違法サイトなどにアクセスし、違法にアップロードされた著作物をダウンロードすることになるため、違法サイトなどへの道しるべ的な役割を果たしているといえます。

この問題に関しては、リーチサイトの運営・管理行為は、著作権侵害そのものではないものの、著作権侵害の教唆ないし幇助にあたるとして差止請求(リンクの削除請求)を認めるべきであるとする見解もあります。

  との指摘があり(235頁)、リーチサイトの運営・管理行為について、特に判例のような事情を考慮要素とすることもなく、「著作権侵害の教唆ないし幇助にあたる」とする見解も見受けられます。

 

まとめ

 一昔前であれば、「リンク行為は適法」という認識がまかり通っていたのですが、今回の運営者逮捕を受けて感じることは、リーチサイトが著作権侵害を助長しているという現実を、捜査当局が無視できなくなったのではないかと。そもそも起訴されるかどうかも分かりませんが、裁判所がどのように判断するのか注目です。

黒髪を強要する校則には教育目的も合理性もない。

黒髪にしなくていい

 

 久しぶりに怒りを覚えるニュースを読みました。

www.sankei.com

 こちら。大阪の府立高校が、地毛が茶色である女子生徒に対し、校則を理由に黒染めを強要。頭皮が荒れるなどの健康被害が生じているにもかかわらず、「黒色にするのがルール」と、何度も指導を行い、文化祭や修学旅行といった学校行事だけでなく、授業への出席も禁止され、その女子生徒はその後不登校に。精神的損害を被ったとして、府を相手に慰謝料などを求める訴訟を提起したという事件です。

 

 これ、私にとって他人事には思えませんでした。何故なら、私も地毛が茶色く、同じように嫌な思いをしたことがあるからです。

 

小学校時代の思い出

 拙い話になります。私は幼少の頃から地毛が茶色というか、赤みがかった色でした。母方の血筋の影響で、よく「外国人みたい」と言われていました。

 小学校の頃、それが原因で、先生から呼び出しを喰らうこともしばしば。担任の先生が変わる度に、母親がわざわざ学校まで行って説明するのです。「これ地毛ですから」と。普通だったら「あ、そうなんですね」と納得してくれますが、中には疑ってくる先生もいて、中学受験を控えている私に対し、「おーい。茶髪やと内申に響くぞー」「そんな髪で入学させてくれる私立中学なんてないぞー」と、チクチクと嫌味を言ってくるのです。

 それが大問題に発展して、あるとき校長先生が、「他の生徒にも悪影響を与えるので、黒染めして頂けませんか?」と、うちの両親に打診。これを聞いた両親が「悪影響ってなんやねん!!髪の色を個性と認めへんのか!!!」と大激怒する一幕もありました。親は偉大です。

 

 私はその後、私立の中学に進んだのですが、この女子生徒と同じく、両親が入学前に学校側に髪の色のことを説明。答えは「全く問題ありません」でした。髪を黒くする必要はないし、そのまま登校して頂いて構わない、と。少人数ながら海外からの留学生もいて、多様性を尊重する学校風土だったんですね。年齢を重ねるとともに、赤みが取れて徐々に黒髪に近づいていったということもありますが、髪の色のことでイジメを受けるということもなく、教師から注意を受けたこともありません。

 

判例による規範と本件への当てはめ

 私の話はこのぐらいで。。

 翻って、校則の違法性が争われた有名な判例として、丸刈り校則事件(熊本地判昭和60年11月13日)というものがあります。この事件は、町立中学校の校長が校則において、男子生徒の髪形を「丸刈、長髪禁止」と定めたことが、校長に与えられた裁量権を逸脱するものとして違法ではないかと争われた事件です(その他、憲法14条違反などの争点もありますが割愛します)。

 

 この点について、熊本地裁は、

中学校長は、教育の実現のため、生徒を規律する校則を定める包括的な権能を有するが、‍教育は人格の完成をめざす(教育基本法第一条)ものであるから、右校則の中には、教科‍の学習に関するものだけでなく、生徒の服装等いわば生徒のしつけに関するものも含まれ‍る。もつとも、中学校長の有する右権能は無制限なものではありえず、中学校における教‍育に関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認されるものであ‍るが、具体的に生徒の服装等にいかなる程度、方法の規制を加えることが適切であるかは、‍それが教育上の措置に関するものであるだけに、必ずしも画一的に決することはできず、‍実際に教育を担当する者、最終的には中学校長の専門的、技術的な判断に委ねられるべき‍ものである

従つて、生徒の服装等について規律する校則が中学校における教育に関連し‍て定められたもの、すなわち、教育を目的として定められたものである場合には、その内‍容が著しく不合理でない限り、右校則は違法とはならないというべきである。

(下線は筆者によるもの)

  という規範を示しています。この判例の射程範囲などの議論もあるかもしれませんが、本記事では、この規範に基づいて検討してみます。

 

敢えて言おう、教育目的など詭弁であると。

 上記判例は、校長には生徒を規律する校則を定める包括的権能があるとしつつも、それは無制限のものではなく、「教育に関連するもの」であることが必要としています。

 こういう目的手段審査基準を用いると、規制目的について合理性が認められることがほとんどなんですが、上記判例も、あっさりと教育目的で制定されたものであることを認定しています。しかし、事実認定の内容は実にお粗末なものです。

本件校則は、生徒の生活指導の一つとして、生徒の非行化を防止すること、‍中学生らしさを保たせ周囲の人々との人間関係を円滑にすること、質実剛健の気風を養う‍こと、清潔さを保たせること、スポーツをする上での便宜をはかること等の目的の他、髪‍の手入れに時間をかけ遅刻する、授業中に櫛を使い授業に集中しなくなる、帽子をかぶら‍なくなる、自転車通学に必要なヘルメツトを着用しなくなる、あるいは、整髪料等の使用‍によつて教室内に異臭が漂うようになるといつた弊害を除却することを目的として制定さ‍れたものであることが認められ、右認定に反する証拠はない。してみると、被告校長は、‍本件校則を教育目的で制定したものと認めうる。

 

 髪型を丸刈りにすると、「生徒の非行化」を防止できるのか。なるほど。では、全国の中学生に「丸刈り」を広めて、日本から少年犯罪や非行問題を根絶してください。校長、お願いします。あなたしかできません。

 「中学生らしさ」。へぇー。昔、NHKで見た「中学生日記」には、丸刈りじゃない男子生徒が何人もいたけど、あの子たちは中学生らしくない、と。公共の福祉のために、あまねく日本全国において受信できるように豊かで、かつ、良い放送番組による国内基幹放送を行う義務を負うNHKが、「中学生らしくない男子生徒」を、あたかも世間の中学生の代表的な存在であるかのように、お茶の間に放映するなんて大問題ですよ。当然、NHKには抗議したんですよね?

 丸刈りにすると、周囲の人々との人間関係を円滑にできる!?マジか!もっと早く知りたかったー!校則に定めるだけじゃなくて、書籍化してください。絶対読むんで!

 

 …これぐらいにしておきます。どうですか?馬鹿げてませんか?こんなことを「教育目的」とか、真顔で言ってるんですよ。

 

 本件において、校長がどのような「教育目的」で、黒髪ルールを定めたのか、その理由は知りませんが、どうせ「非行化の防止」とか、「校内の風紀維持」とか、「周囲に与える悪影響の抑止」とか、もっともらしい理由を挙げて、「これは教育目的だ」と主張するんでしょうけど、私は、自分の生まれ持った髪の色を変えさせることが教育だとは絶対に認めません。もし、それを教育だと言うなら、あなたを教育者とは認めません

 

合理性なんて無いからさ。

 上記判例は、生徒の服装等にいかなる規制を加えることが適切であるかは、画一的に決することはできず、最終的に中学校長の専門的、技術的な判断に委ねられるとしつつ、教育目的で定められた場合には、その内容が著しく不合理でない限り、校則は違法とはならないとして、校長にかなり広範な裁量権を認めています。

 

 著しく不合理かどうかを判断するにあたって、上記判例は、当時の熊本市内において、長髪を許可する中学校が増加していた点などに鑑み、「本件校則の合理性については疑いを差し挾む余地のあることは否定できない。」としつつも、丸刈りという髪型は今なお男子児童生徒の髪形の一つとして‍社会的に承認され、必ずしも特異な髪形‍とは言えないなどと述べ、著しく不合理とはいえないと結論付けました。

 ただ、上記判例は、ある重要な事情を考慮しています。それが次のものです。

本件校則には、本件校則に従わない場合の措置については何らの定めもなく、かつ、被告‍校長らは本件校則の運用にあたり、身体的欠陥等があつて長髪を許可する必要があると認‍められる者に対してはこれを許可し、それ以外の者が違反した場合は、校則を守るよう繰‍り返し指導し、あくまでも指導に応じない場合は懲戒処分として訓告の措置をとることと‍しており、たとえ指導に従わなかつたとしてもバリカン等で強制的に丸刈にしてしまうと‍か、内申書の記載や学級委員の任命留保あるいはクラブ活動参加の制限といつた措置を予‍定していないこと…が認められ、…又、弁論の全趣旨によれば‍現に唯一人の校則違反者である原告に対しても処分はもとより直接の指導すら行われて‍いないことが認められる。

(下線は筆者によるもの)

 

 要するに、校則において「丸刈り」を禁止しているけれども、それを破ったからといって、不利益となるようなペナルティを課していないし、身体的欠陥等があって長髪を許可する必要があると認められる生徒に対してはこれを許可していたという、校則の具体的な運用状況を勘案しているのです。

 本件では、女子生徒に対して執拗な指導を行っているほか、授業への出席禁止や、文化祭・修学旅行への参加を認めないなどの具体的な不利益を課し、頭皮や髪が荒れるなどの健康被害が生じているにもかかわらず、例外的に許容されることもありませんでした。また、指導の途中で過呼吸になり、救急車で運ばれるという事態も生じています。もし、上記判例の挙げた規範及び考慮要素を敷衍するとすれば、本件は、合理性を欠く事案と言えるのではないでしょうか。

 

 また、「著しく」という点についても、後天的に髪を染めた生徒に対する指導であればともかく、女子生徒の髪の色が先天的に茶色であったことなどを考えると、学校側の対応はあまりに厳格に過ぎ、私は、「著しく不合理」と認定されるケースではないかと考えています。

 

さいごに

 正直、今の時代に、生まれ持った髪の色を変えさせてまで、黒髪でなければならないと校則に定めている学校があるなんて、信じられませんでした。しかも、金髪の外国人留学生でも規則で黒染めさせるらしいじゃないですか。

 

 そもそも、なんで黒髪でなければならないのか、これを説明できるんですかね。あと、髪の色について定めているのであれば、肌の色はどうなのか。昔、顔グロとかヤマンバギャルとか流行りましたけど、もし、肌を黒く焼いたり、過度のメイクをすることもダメなのであれば、黒人の留学生に対して、まさか「ペールオレンジに塗れ」とか言うんじゃないでしょうね?

<判例>司法修習生給費制廃止違憲訴訟判決について(東京地判H29.9.27)

給費制廃止_違憲

 裁判所法の改正により、司法修習生の給費制を廃止したことが違憲であると主張して提起されていた一連の訴訟について、9月27日、東京地裁は原告らの請求を棄却する判決を下しました。同様の判決は、広島地裁、大分地裁でも下されています。

 

 本日は、司法修習生の給費制廃止をめぐる憲法上の問題点等をあれやこれやと書いてみます。なお、本判決の全文は こちら から見れます。

 

 

事案の概要

 本件訴訟において、第65期司法修習生である原告らの主張を概略すると以下のとおり。

 

  1. 裁判所法改正によって司法修習生の給費制を廃止したことは、給費制および原告らの給費を受ける憲法上の権利を侵害するものであり、平等原則にも反するものとして違憲。
  2. 裁判所法を改正したこと及び給費制を復活させなかったことは立法不作為として国家賠償法上違法。
  3. 司法修習生が司法修習に従事することは憲法29条2項の「公共のために用ひる」ことに該当し、同項の損失補償の対象となる。

 

 

 なお、原告らは、

本件訴訟を通じて,原告ら個々の司法修習生に対する人権侵害による自らの被害の回復に留まらず,志半ばで法曹の道を断念した者の声を代弁し,今後法曹を目指す者への助力となるべく,被告に対して,三権の一翼を担う司法制度の意義とそれを支える法曹養成制度の在り方を問い,被告は,志ある人材が経済的事情により法曹を目指すことを断念せざるをえない事態を招くことのない法曹養成制度を確立し,国民の権利擁護を担う法曹の多様性を確保し将来の法曹を支える人的基盤である司法修習生を十分な環境の下で教育を行う憲法上の義務を負い,その義務の一環として給費制を維持すべきであるから,上記各請求をするものである。

 と主張しています。

 「志半ばで法曹の道を断念した者の声を代弁し」って、いつの間にか代弁されていたんですね(笑)別に給費制廃止を通して昨今の司法制度の問題を代弁して欲しいという気持ちはないけれども。。

 

判旨+コメント

 ここから先は、判決文に即しつつ、コメントを付けていきたいと思うのですが、かなり長文に及ぶため、「給費を受ける権利は憲法上保障された権利か」「給費制廃止は平等原則に違反するものかどうか」という論点だけ抜粋します。

(給費制は憲法上保障された制度かという興味深い論点もありますが、立法裁量論の話になるのはある意味予想通りだったので割愛します)

 

給費を受ける権利は憲法上保障された権利か

 まず、司法修習生が公務員に準じる地位にあるとして、給費を受ける権利の根拠を憲法15条に求めた点については、

憲法が具体的な法曹養成制度の在り方について何らかの定めをしているとは解されないし,何ら憲法が法曹養成制度について定めていない以上,立法事項として創設された法曹養成制度の結果から何らかの憲法上の権利が基礎付けられているとはいえない。

 としたうえで、「司法修習は,司法修習生の公的な職務として行われるものではない」「修習専念義務は,…給費制に基づく給与と何ら対価関係に立つものではない」などとして、司法修習生の公務員としての性格や、公務員に準じる地位を否定しました。

 

 気になるのは、「司法修習生は,国家公務員ではないところ,自らが法曹資格を得るために国の行う司法修習を受けて,司法権を担う法曹という高度に専門的な能力が必要とされる資格を得るにふさわしい能力を修得すべき地位という,いわば特殊な法的地位にいる」と判示した点。「特殊な法的地位」というぐらいですから、何か法的根拠があるはずなんですが、この点について裁判所は「司法修習の本質から導かれる修習専念義務の由来」としか説明しておらず、随分と乱暴な言い方だなと思います。

 「特殊な法的地位」と聞くと、特別権力関係論みたいなものを思い出すんですけど、公務員の労働基本権についても、判例は、特別権力関係論を放棄して、公共の福祉による内在的制約説に修正しています。しかし、本件では、司法修習生の「公務員としての地位」、「公務員に準じる地位」を否定したがゆえに、「公共の福祉による制約」を使えなくなってしまい、法曹養成制度を司法権の実効的機能性の確保という憲法上の要請と結びつけることで、「特殊な法的地位」なるものを(苦し紛れに)導き出したとしか思えません。かなりアドホックな判断ですね。

 

 続いて、憲法13条(幸福追求権)、22条1項(職業選択の自由)、25条(生存権)、27条1項(に根拠を求める主張についても、バッサリと否定。一部抜粋しましょう。

司法修習が法曹となるために原則として必要となる過程であること,法曹が憲法上明記された司法権を担う存在であることを踏まえても,憲法13条が法曹となるための司法修習を受けるときに給費を受ける権利を認めたものであると解することはできず,原告ら主張の権利を保障したものであるとは解されない。

原告らの主張は,その実質において,前記アで説示した権利(幸福追求権)の主張と同様であるところ,憲法22条1項の定める職業選択の自由が,自らが選択した職業になるための必須の過程について,給費を受領しながら行うことができることまで保障したものであるとは解されないから,原告らの主張は採用できない。

(括弧内は筆者が付け加えたもの)

旧法に基づいて支給されていた給与は,生活保障のためではなく,立法政策上支給されていたにすぎず,また,…新64期生に支給されていた給与額は,月額20万4200円であり,「最低限度の生活」の保障の趣旨ではないことは明らかであって,憲法25条の定める生存権を保障する趣旨のものであるとはいえない。
また,修習専念義務が司法修習の本質から導かれるもので,合理的制約であるところ,同条が,自らが選択した職業になるために必須の過程における生活のための費用まで保障したものであるとも解することはできないから,原告らの主張は採用できない。

 

 いずれも「司法修習が法曹になるための必須の過程」であることを強調して、原告らの主張を退けています。

 憲法13条・22条1項の論点はさておくとして、生存権について、「新64期生に支給されていた給与額は,月額20万4200円であり,「最低限度の生活」の保障の趣旨ではないことは明らかであって」と言い切っていますが、え?おかしくない?埼玉県和光市(1級地-2)を基準とした場合、例えば、30歳の夫婦と4歳になる子どもの3人世帯の生活保護費(生活扶助費+住宅扶助費)は18万9725円です(もし計算が間違っていたらすみません)。もちろん世帯人数が増えれば、生活保護費はもっと増えます。「月額20万円だから、「最低限度の生活」の保障の趣旨ではない」って、金額の問題じゃないと思うのだけれど?

 

給費制廃止は平等原則に違反するものか

 要するに、給費制廃止前の新64期生との間で不合理な差別が生じているという主張です(現行65期生、裁判所書記官修習生との間の差異については割愛します)。この点について判例は、

給費制ないし本件権利(給費を受ける権利)は,憲法上保障されたものではなく,法曹養成の方法に関しいかなる制度を採用するか,当該制度の具体的内容をどのようなものにするかといった事柄については,立法府の政策的な判断に委ねられている。この中で司法修習にかかる負担を軽減するために,経済的支援をするか否か,するとしてもどのような方策を講じるかについても,経済的・社会的条件,一般的な国民生活の状況,国家の財政事情,他の政策等を踏まえて検討される必要があり,立法府の政策的な判断に委ねられており,原告らと新64期生との間での区別に合理的理由があるか否かは,上記裁量を前提に判断されるべきである。

(括弧内は筆者によるもの)

 としたうえで、次のように判示しています。

(司法修習生に対する給費制度は)司法制度改革全体の財政上の問題もあったところ,司法制度改革全体にどの程度国家予算を配分するかも含めて,予算をどこに割り振るのかは,予算編成権を持つ国会に委ねられているところ,司法制度改革全体の中で,法科大学院制度への資金投入等もある中,増加が予定されている司法修習生への経済的支援について,財政的理由で給費制を維持することは困難であると判断することに合理的理由がないとはいえないし,給費制の代わりに導入された貸与制についてみても,一般の貸与制度に比べて有利なものであるし,修習専念義務等を踏まえても,司法修習期間中の生活を維持することが可能なのであって合理的なものであるといえる。

そして,平成22年法改正によって給費制廃止の不適用期間が1年間とされたことにより,新64期生は給費を受けることができ,新65期生は給費を受けることができなかったが,これは実施時期に関する差異であつて,その差異には合理的理由がないとはい
えない。したがって,原告らと新64期生との間における差異に合理的理由がないとはいえず,同差異に憲法14条1項違反はない。

(下線は筆者によるもの)

 

 財政上の問題であるという点に触れ、国会に予算編成権が付与されているという立法裁量論を持ち出すことで、両者の差異についての合理性の判断をかなり緩やかに審査しています。経済政策的な要素の強い立法内容について平等原則が争われる場合は、厳格度を落とした合理性基準によるべきとする見解に依拠しても、本件は緩やかな基準の下で合憲と判断される事案だったのでしょう。

 ただ、審査密度は薄い。水とカルピス原液の比率が9.5:0.5っていうぐらい薄い。貸与制度は一般の貸与制度に比べて有利だと言いますが、返済が始まる修習5年後における平均収入や弁護士の廃業率などを見なければ、必ずしも「有利」とは言い切れないし、今奨学金を返済できない若者が急増している現状をどう見ているのでしょう?「無利息でお金を借りれるって最高やん。全然不合理ちゃうよな!」って、皆等しく就職できて、等しく給料が上がっていった時代の話でもしているの?

 

まとめ

 本判決は、別段目新しい判断が下されたものでもないですが、「司法修習生の法的地位」という新たな論点が抽出され、法曹養成制度の意義や機能に言及した点で価値があると思います。ただ、ところどころ意味不明ですね。

 最高裁まで争われると思いますが、その頃には、「貸与されたお金を返済できない」という方が多くいるやも知れず、判断が異なる可能性はあると思っています。今後に注目です。

法務系AIクラウドサービス「Holmes」と資金調達について思うこと

リグシー_500startupsjapan

 昨日に続いて、本日もリーガルテック関連の話です(もしかすると明日も?)。昨日の記事を書いてから1日経つと、次のようなニュースが流れてきました。ほんと、話題に事欠かないですね(笑)

jp.techcrunch.com

 日本初の法務系クラウドAIサービス「Holmes」を提供しているリグシーが、500 Startups Japanから数千万円規模の資金を調達したとのこと。「Holmes」は、クラウド上で、契約書の作成、締結、管理を行えるほか、弁護士が作成した様々な契約書テンプレートを使用することができるというサービス。契約管理に頭を悩ませている大企業法務部のウケが良く、私もこのサービスは純粋に良いと思います。

 

 「おお、日本のリーガルテックもどんどん進化していきますね~!」という話で締め括りたいところなんですが、私が気になるのは、今回の増資が、シリコンバレーの著名アクセラレーター「500 Startups」の日本拠点である「500 Startups Japan」によるものであるという点。

 

 この点について、ちょっと日本におけるリーガルテック市場の展望も踏まえ、あれこれ書いてみます。

 

AI分野でスタートアップが大企業になる道はあるのか。

 実は、上記記事と同日付けでこのような記事もあります。

jp.techcrunch.com

 この記事、「Y Combinatorが、積極的にスタートアップ企業に投資してるけど、10年前と比べて、FacebookやAppleみたいな大成功を収めたスタートアップ企業なんてある?」という趣旨のもので、結論から言うと、「次世代の重要テクノロジーであるAI、ドローン、AR/VR、暗号通貨などの分野は、スタートアップには手が届かない分野になってしまっていて、Googleみたいな巨大企業による世界支配が強まるよ」「このような分野で成功する望みは薄いから、世界的な大企業にバイアウトするのがベストな選択でしょ」という論調です。

 

 実際のところ、今回のようなクラウドAIサービスは、「データの量が物を言うサービス」で、どれだけ優秀な技術者がスタートアップ企業にアサインしても、ビッグ5が有する巨大データを相手にして、国際市場で勝つことなんて正直無理ゲーのように思えます。

 

リーガルテックスタートアップへの出資実績

 そんな中で、リグシーは、パートナーとして500 Startups Japanを選んだわけですが、この選択はある意味正解だと思います。

 500 Startupsには、LawTrades、QuickLegal、CellBreakerなどのリーガルテックスタートアップ企業への出資実績があり、リグシーは、このような "500ファミリー" の一員として、シリコンバレーの最先端のナレッジを吸収しつつ、メンターによるバックアップを受けながら市場での安定した優位性を築いていく道筋が見えています。

 

 仮に、このまま「Holmes」が日本国内でユーザー数を増やし、法務分野での必須ツールと言えるまでに普及・拡大したとしても、今度は、リーガルテックで先を行くアメリカ企業と市場で競合することが予想されますが、リグシーはそこまで見越して出資を受け入れたのではないかと想像します。

 

500 Startups Japanの思い描くエグジット

 500 Startups Japanの代表・ジェームズ・ライニーは、今回の出資に関して、次のようにコメントしています。

「リーガルテック」の波をグローバル環境において感じる中で、日本でその担い手になるプレイヤーをずっと探していました。

(引用元:http://thebridge.jp/prtimes/268244

 

 また、別の記事の取材では次のようにもおっしゃっています。

最近でこそ少し増えてきたとはいえ、国内M&Aの件数はまだまだ少ない。買う側の企業の数が限られていることもあって、日本のスタートアップが目指すエグジットとしてはマザーズへのIPOが主流というのが現状だ。そのIPOも年間100件程度と上限がしれている。エグジット数が少ないのが日本のスタートアップエコシステムの成長にとってボトルネックの1つなのであれば、アメリカ企業が買いやすい座組を用意するのが最も効果的なのではないか。

(引用元:http://jp.techcrunch.com/2015/09/08/500-startups-japan/

 

 言うまでもなく、500 Startups Japanの考えるエグジットは、国内でのIPOでもM&Aでもなく、アメリカ企業によるクロスボーダーの買収です。これまでも、多くの出資先について、LinkedIn、Google、Amazon、Cisco Systemsなどの名だたる大企業に買収されてきた経緯があります。

 アメリカ企業は、日本のスタートアップ企業の買収には忍び足になることが多いとされていますが、リーガルテックなどのAI技術は(冒頭にも申し上げたとおり)寡占化しやすい市場であり、いち早く「シリコンバレー流」を導入し、M&Aを活性化させれば、アメリカ企業による「日本支配」は容易なんでしょうね。

 

まとめ

 まあ、そんなことを言いつつ、このようなリーガルテックが日本国内で発展・普及していくことは喜ばしいことですし、こういったニュースでどんどん盛り上がって欲しいと願いつつ、本日はこのへんで!