とある法務部員の備忘録

IT企業で法務をやっている独身アラサー。法務系のネタ、英語、雑記、ブログ運営などについて自由気ままに書き綴っています。

書籍レビュー(2)「はじめてのアメリカ法」

スポンサーリンク

書籍レビュー_はじめてのアメリカ法

 今回紹介したい書籍は、樋口先生著「はじめてのアメリカ法」です。

 本著は、樋口先生が、大学の講義の内容を全15回+補講1回に分けて解説したものであり、そういう意味では、これから英米法・判例法のことを学ぼうとする学生向けの書籍という位置づけかと思います。

 

 ですが、大学で英米法を学んだことのない社会人が読んでも、非常に参考になる内容となっており、「これから英米法のことを勉強したいけど、何から始めたら良いのか分からない」とお悩みであれば、まずは本著を読むことをオススメします。

 但し、本著は、主に日本法と英米法との違いをクローズアップする形で論を進めているため、日本法の知識がない方が読むと、一部ちんぷんかんぷんかもしれません(違憲審査制などは特に)。

 

 ですので、

  • ある程度、日本法の知識を習得している。
  • これから英米法のことを勉強したいが、何から始めたら良いのか分からない。

 

 という条件を満たす方が本著の対象かなぁと思います。

 

アメリカの法社会に対するイメージが変わる。

 アメリカは、よく「訴訟大国」だと言われます。日本弁護士連合会の発表によりますと、日本における通常民事訴訟の新受件数は、2009年に23万5508件となっており、これはアメリカの8分の1(人口比)だそうです※。

※ 日本弁護士連合会│Japan Federation of Bar Associations: 第62回定期総会「民事司法改革と司法基盤整備の推進に関する決議」

 

 むしろ、日本の民事訴訟の件数が少なすぎるという議論はあるかもしれませんが、人口比で日本の8倍と聞くと結構驚きですよね。そのことから、「ちょっとしたことで、すぐに訴える・訴えられる国」というイメージを持っている人も多いかもしれません。また、日本の民事訴訟では考えられないような賠償額を裁判所が命じるケースもあり、日本の賠償制度と根本的な違いを感じざるを得ません。

 また、日本人は「口約束」だけで物事を進めがちな国民ですが、アメリカは徹底した「契約社会」です。私も、法務という立場上、アメリカ企業との間で色んな取引を行いますが、ほぼ例外なく、「契約ありき」で交渉が進んでいきます。契約を結ばないと信頼するに値しないという烙印を押されちゃうわけです。

 

 ですが、本著では、そのようなイメージを払拭するが如く、色々な切り口から、アメリカ法社会のありのままの姿を説明しています。

 例えば、本著第5回のテーマ「契約を破る自由」では、「契約違反は悪ではない」という考え方の下、「契約の目的は債務の現実的履行の強制ではなく、原則的救済は損害賠償によって図られるべきであり、契約違反は悪ではないのだから、懲罰的賠償も認められない」と論を進め、限られた資源の効率的利用を法が支えているという「win-win game」の理論に言及し、アメリカ社会では、効率的契約違反(efficient breach)、すなわち「契約を破る自由(a considerable freedom to break contracts)」が認められているとの自説を唱えられています。

 「契約は厳守しなければならない」というローマ法の格言があるぐらいですから、「契約を破る自由がある」と聞くと、日本人ですら理解に苦しむところですが、そのように、実はアメリカ社会もガッチガチの契約社会というわけではなく、契約の不遵守に対して寛容な部分もあるのでは?という一石を投じられているわけですね。

 

 さらに、第8回では、懲罰賠償として270万ドルの判決が下ったという有名な「マクドナルド・コーヒー事件」を題材として取り上げ、あまりにもクレージーな当該判決に対し、事件の裏側の詳細や、最終的に60万ドル以下で和解が成立した点などにも触れつつ、相当程度の合理性があったことを説明されています。マクドナルドでコーヒーをこぼして、ちょっと火傷した程度では、簡単に多額の賠償金を取れるほど甘い社会ではない、と。

 

 このように、本著の随所において、日本人がアメリカの法社会に対して抱きがちなイメージを、具体的な事案に即しながら、丁寧に論考を重ねており、本著を読了した際には、少なからずアメリカ法社会に対するイメージは変わっているのではないでしょうか。

 

法律家としてのあるべき姿

 アメリカは判例法主義ですから、過去の判例に即して、具体的事件の解決を図ります。対して、日本は大陸法・実体法主義であり、明文化された条文を具体的事件に当てはめて解決を図ろうとします。そのため、日本の大学やロースクールでは、「条文の知識の詰め込み教育」に陥りがちです。

 しかし、樋口先生は、このような法律家の教育のあり方にも疑問を呈しています。新しい種類の紛争が生じれば、新しい法律・判例も増加し、学者も異説を唱えるなどして、知識の量はどんどん増えていきます。ですが、そのような知識を増やすことに意味はないとバッサリ切り捨てたうえで、次のようにおっしゃっています。

 

法律の知識はすでに人の理解できる以上の量であり、しかも常に新しくなり増加するので、今の知識を覚えることには意味がないのです。大事なのは、現実の事件に立ち向かった際に、必要な法について調べてそれをもとに考える能力であり、アメリカのロースクールではそれで十分だとしています(41・42頁)。

 

 これは、司法試験を目指している学生に是非とも肝に命じてほしいなと思う言葉です。私もかつては司法試験を目指していましたが、条文や判例、学説の知識を習得することに必死で、日々変化し続ける社会や法律を前提に、目の前で起こっている事件をどのように解決していくか、という視点までは持っていませんでした。条文を知っていれば、何でも解決出来るというのであれば、六法全書を丸暗記すれば良いんですから。ですが、法律家というのはそういう存在ではないはずです。

 

 最後は説教くさくなってしまいましたが、アメリカ法のことをこれから学びたいという方には、是非一度は読んで欲しいと思える著作ですね。