とある法務部員の備忘録

某IT企業に勤めるアラサー法務。法律、時事問題、英語、雑記、ブログ運営などについて自由気ままに書き綴っています。

ハロウィンで大騒ぎする若者たちと集団暴徒化論

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今日はハロウィンですね。

先週末、渋谷の繁華街では、ハロウィン直前の土日ということもあってか、仮装した若者たちでごった返し、痴漢、盗撮、暴行など、迷惑防止条例違反の容疑で5人が逮捕されたほか、軽トラックを横転させて、車の一部を破損させる器物損壊事件も発生しました(現在、捜査中)。

 

私は、ハロウィンというイベントに全く馴染みがないし、はるか昔、まだハロウィンがメジャーなイベントではなかった頃、大阪駅で仮装している外国人の集団を見かけた際、一緒にその場に居合わせた友人と、「あれは一体なんだ…?」と目を丸くしたことを思い出します。

今でも同じ感覚。ハロウィンを祝う文化が自分の中には無いし、集団で仮装したいという心理もよく分からん。「楽天市場 ハロウィントレンド2018」には、次のように記載されているけども、

「楽天市場」が20~40代の男女600人を対象に実施した意識調査(2018年8月実施)によると、「今年のハロウィンを過ごす場所」については、約8割が「自宅」と回答しました。「誰と過ごすか」については、「家族」と回答した人が過半数となっており、ハロウィンは、自宅で家族と楽しむファミリー向けのイベントとして定着してきていることがうかがえます。

(太字は筆者によるもの)

 

これ、本当なんですか…?(汗)

「自宅で家族と過ごす」と回答した8割の人は、ハロウィンというイベントを家族と一緒に楽しむというより、ハロウィンを祝う習慣がないから、「別にハロウィンだからといって、何も特別なことはせず、自宅で家族と一緒に居るだけ」っていう意識なのでは?普段の日常生活と何ら代わり映えしない「10月31日」なんじゃないの…?

随分と時代遅れな感覚なもので、こういう穿った見方しかできないんですが、皆さんの中でハロウィンってどんな位置づけでしょうか。

 

「集団暴徒化論」について

ハロウィンに対する個人的な印象はこのぐらいにしておいて、近年、ハロウィンで大騒ぎして、メディアに取り上げられている若者たちに焦点を当てつつ、こういった集団行動を規制する際に、よく取沙汰される「集団暴徒化論」のことをちょっと話したいと思います。

ハロウィンにおける集団仮装行動は、「集団行動」じゃなくて「集会」ではないか、そもそも憲法上保障された行為なのか、といった論点設定も出来ると思いますが、いったんややこしい憲法論は置いておきます。

 

かつて最高裁は、デモ行進を規制した公安条例の合憲性に関して、いわゆる「集団暴徒化論」を持ち出しました。「示威行動を行う集団は暴徒化しやすい」というものです。

これがまあ、学者たちの間では大変不評だったわけです。「集団は暴徒化しやすい」という論拠には「根拠がない」と。集団暴徒化論を初めて学んだ際、「確かに、ただの憶測だよな」と思ったものですが、その一方で、私の脳裏にはある光景が浮かんでいました。

 

阪神タイガースが優勝したときに、道頓堀に飛び込んだり、カーネル・サンダース人形を道頓堀に投げ込んでいる阪神ファンの集団です。

 

このときの阪神ファンたちは、紛れもなく暴徒化した集団でした。集団暴徒化論は、一見すると単なる憶測に過ぎないように見えて、実は、誰しもがその経験則上、集団暴徒化論のことを「確からしい」と感じているのではないかと思います。

だけど、デモ行進を規制する公安条例の合憲性を支える論拠として、集団暴徒化論を持ち出されると、なぜか違和感を感じてしまう。この違和感はどこからくるものなのか、私は、阪神ファンが暴徒と化した時から四半世紀以上を経て、渋谷で大騒ぎする若者たちの姿にその答えを見つけたように思います。

 

暴徒化する集団とは

通常、集団暴徒化論が持ち出されるのは、「動く集会」と言われているデモ行進などの集団示威行動を規制する場面においてです。

統一的意思をもった集団が、公道を練り歩きながら、自分たちの意見を "示威" するうちに、気持ちがヒートアップし、あるいは、自分たちと敵対する反対グループや交通規制を行う警官と衝突することによって、「暴徒化」するという論理です。

だけど、阪神ファンや渋谷の若者たちは、デモ行進を行う集団とは明らかに違います。「阪神の優勝を祝う」「ハロウィンを祝う」という、「共通の目的を有している集団」という点では、その類似性を認めることは出来るけれども、彼らは、特定の思想・意見を外部に示しているわけではなく、集団でいることそれ自体が半ば目的化しているのです。

 

それが証拠に、これらの集団は、デモ行進とは異なり、阪神の優勝やハロウィンを祝うための「手段」を共有していません。

その場に居合わせた人と祝福の言葉や抱擁を交わす人もいれば、道頓堀に飛び込む人もいるし、カーネル・サンダースの人形を道頓堀に投げ込む人もいる。仮装をして楽しむ人もいれば、トラックを横転させてはしゃいでいる人もいる。つまり、「目的」だけ共有して、目的を達するための「手段」は、集団を構成する個人に委ねられているのです。

こういう様子を見ていますと、少なくとも私には、「集団示威行動」の果てに暴徒化したのではなく、「集団でいること自体が目的化した集団において、当該集団を構成する個人が、自らの威を示す行動」を行った果てに暴徒化したように映ります。

 

「集団暴徒化論」に思いを致すとき、デモ行進を行う集団ではなく、阪神の優勝を祝うために道頓堀に集った阪神ファンを連想したのは、こういった「目的だけを共有した集団」こそ、暴徒化しやすいと思ったからに他なりません。公安条例の合憲性について、集団暴徒化論を持ち出すことに違和感を覚えるのもこれが理由です。

 

おわりに

ハロウィンで大騒ぎする若者たちに対し、「田舎の大学生が騒ぎたいだけ」と批判する人も多いですが、何をすればいいのかよく分からないイベントを流行させた業界団体にもその責任があるように思います。

ハロウィンって何?仮装するの?他のお宅を訪問してお菓子を貰うの?ホームパーティをするの?渋谷で大騒ぎするの?一体、何をするイベントなのさ??

 

そんなことを考えながら、渋谷で大騒ぎする若者たちに「集団暴徒化論」の真髄を見出したいつも通りの10月31日でした。